日記

僕らは何のために生まれたのか?

誰しも一度や二度、

こういう事を考えた事はありませんか?

「僕らは何のために生まれたのか?」

 

今朝ふと、

そう思ったので、

ブログにしてみました。

僕にとっては良くあること、

だけど最近は考えなくなっていた事。

 

毎日毎日、

仕事仕事、

生きるに余裕なく過ごしていた、

サラリーマン時代、

毎日のように考えていた事でもあります。

 

答えは出たのか?

いや出なかったよ…

だけど、

今のライフスタイルに行きついた。

 

ここ最近、

頼まれるがままに、

植木屋さんの知人のお手伝いを

連日していたので、

今朝ふと思ったのかもしれません。

 

この毎日の暑さのなかで、

頭がボーっとしていて、

「俺、何してんだろう?」

って急に不安になった気分でした。

 

今朝は、

「そうだそうだ、

いつでも止めれる、

いつでも自由、

そうやって生きている」

って思い直したので、

深く考えもしませんでしたが。

 

サラリーマンの時代、

何のために生きているのか?

とか、

人生の意味は?

とか、

そういったものの答えを

いつも探していたのに、

毎日やっていることといえば、

仕事仕事仕事…。

 

じゃあ、

仕事するために生きているのかって、

自問すればもちろん、

否定しかない。

仕事をしていれば見つかるかというと、

そうでもない。

仕事のための人生なんて当然つまらない。

 

仕事をするのは、

生きていくため。

じゃあ、

その生きるには目的があるのか?

僕の人生とは何のためにあるんだろうか?

と、

また問いかけに逆戻り。

 

自分で答えを出せないものだから、

他力本願、

本を読んだり、

他人の話しを聞いたり。

 

それぞれ、

いろんな人や、

団体や組織や、

なんだかんだ、

それなりに答えを用意している。

だけど、

どれもしっくりこない。

 

「これが答えだ!」

と、

人類共通の答えを、

しっかり用意してくれているものの、

天邪鬼な僕は、

どれもが気にいらない。

 

きっと、

人類が共通しているのは、

答えのほうではなくて、

問いかけのほうだと思う。

 

だから、

答えは人の数ほど、

あってしかるべきだと思うし、

一人で何個も、

考えたその都度、

違った答えを出していいと思う。

 

答えは、

自分以外の他人から与えられるものではなく、

自分で考えて出すものだと思う。

 

人類に共通する真理なんて、

そうあるものでもないし、

それが真理だって、

立証しようもないのだから。

 

そして僕は、

自分で考えた答えを出して、

また、

問いかける。

答えを出して、

また問いかける。

この繰り返しを、

死ぬまで繰り返す。

 

何個答えがあったっていい。

その繰り返しの動作こそが、

真理に近づける手段と思うから。

霊現象の私的解釈

先日、知人より

「霊っていてると思う?」

と聞かれたので、

その時に返答した意見を文章化します。

夏なので、

こういった話題もいいかと思います。

 

前提として、

霊魂なる実体(魂的な存在)は、

ないと思っています。

個たる魂が存在していて、

それが輪廻転生するということも、

ないと思います。

 

実社会では、

そういうアイデアは、

様々な理由で必要とはされていますが、

(民衆の支配だったり道徳観の育成だったり)

実際にそうであるかどうかでいうと、

ないと思います。

 

なので、

「霊はいてると思うか?」

という問いかけには、

「霊そのものの実体は存在しない」

と答えます。

 

しかしながら、

情報には満ちていると思っています。

何の情報か?

あらゆる記録としての情報に満ちている。

我々が生きているこの空間全体に、

ちりばめられたあらゆる情報。

 

特に、

死にたいしての感情を伴う情報、

例えば、

自死する際の感情や状況、

他殺される際の感情や状況、

他者を呪うときの感情や状況、

などなど、

非常にネガティブな情報は、

感情を伴うことで、

強度の高い情報として、

残る(記録)と思います。

 

生まれながらにして、

そういった強度の高い情報源に、

触れることのできる体質を、

霊媒体質と言います。

そのネガティブな情報に紐づく、

物理的な容姿情報までキャッチできると、

かなり鮮明な状態で情報を実体化できる、

いわゆる”霊を見た!”

という状態を自分自身の内で

作り出すことが出来るでしょう。

 

これはあたかも、

TVやラジオと同じ現象と言えます。

例えば、

生まれながらにして、

TVやラジオの電波をキャッチできる、

電波媒体質だったとしましょう。

その人はTVやラジオのチューナー無しに、

映像を見たり音声が聞こえます。

電波はそこら中に飛んでいる訳ですから、

あとはキャッチするかどうかの問題。

無意識にTV番組が見れたり、

意識すればチャンネルの選択が可能だったり。

 

そのように、

霊情報をキャッチできる人が、

この世の中にはたくさんいてるということ。

つまりは情報にアクセスできるって事。

 

おもしろいのは、

実体化する側の状態も大きく影響するということ。

東日本大震災での被害者の霊だったり、

数年前に起きたビル火災の被害者の霊だったり、

比較的最近の出来事にまつわる霊は見えても、

平安時代に無念の思いで都を追われた貴族の霊とか、

さらには縄文時代に、

土器の奪い合いをして惨殺された村人の霊とかを、

”見た!”という人はなかなかいません。

 

昭和時代はまだまだ、

第二次世界大戦で戦った日本陸軍の兵士の霊とか、

関ヶ原の戦いで散っていった落ち武者の霊なんかを、

”見た!”っていう人もいたようですが、

現代人はそういうのは古臭くて見ません。

 

情報の強度としては、

縄文時代だろうが、

戦国時代だろうが、

変わらず高い強度で残っていると思いますが、

キャッチする側の状態が、

そこに興味が無いので、

波長が合わなくなってしまっています。

 

つまりは”見よう”とする側の意識も

関係してくるということ。

全てはキャッチする側の問題なのです。

 

なので、

魂としての実体を見ているのではなく、

情報の実体化を自分で行い、

それを見れるかどうかってところ。

その能力がある人は”見える”し、

普通の人はもちろん見えません。

 

が、

普通の人も”見える”、

”情報をキャッチして実体化する”

ことが出来る時があります。

それは、

「生命状態が弱い」

とき。

この時は非常にキャッチしやすくなる。

というか同調しやすくなる。

 

例えば、

心配事があったり、

悩んでいたり、

落ち込んでいたり、

恐怖を感じていたり、

など。

 

こういう生命状態の時は、

自分自身が非常にネガティブなので、

空間中のネガティブ情報とシンクロしやすい。

 

最悪の場合、

縁もゆかりもないネガティブな情報に、

悪影響を受けてしまい、

リアルな行動として、

とんでもない事をしでかす可能性がある。

ビルから飛び降りようとしたり、

電車に飛び込もうとしたり…。

 

実体験として、

20代の後半に、

ジャンクな食生活、

過酷な肉体労働、

精神的に追い詰められたストレス状態、

そんな状態で生活していたころ、

十二指腸潰瘍を患い、

2回ほど生死の境をさまよいました。

 

2回目の入院生活の時、

緊急手術で潰瘍を塞いだ後、

やっと集中治療室から一般病棟へ移った時、

真夜中で寝ているときに、

どこからともなく

「助けてくれ~」

という声が聞こえ目ざめました。

 

しかも何回も、

鮮明にクリアに、

寝ている自分の頭上付近で。

あまりにも鮮明に聞こえるもので、

「誰かが助けを待っている!」

と思った僕は、

看護師さんの詰め所まで報告に行ったのですが、

あいにく誰もいなくて、

仕方が無いので声の主を探すべく、

各病室を見て回ってみたものの、

該当する患者さんも無く、

不思議な気分でベットに戻りました。

戻ってからは何も聞こえなくなったので、

未だにあの声は謎のままです。

 

その時は本当に、

「助けなきゃ!」って思ったんで、

恐怖とか幽霊とかそんな気分ではなかったです。

しかし自分の生命状態や、

病院といった環境を考えると、

自分のベット付近で、

数年前に苦しんで亡くなった方の

助けを求めていた声を、

時空を超え、

情報としてキャッチしていたとしても

不思議ではないと思います。

 

話が長くなりましたが、

強度の高いネガティブな情報、

そういったものにアクセスできるとして、

その逆に、

強度の高いポジティブな情報も、

同じようにアクセスできないかと、

考えてみたところ、

実はやっていたと気づきました。

次回はポジティブな情報へのアクセスについて

ブログにしたいと思います。

大人と子供

サラリーマン時代、

よく上司から、

”大人になれよ”

って諭されました。

アラサーのおっさんが、

40代くらいの上司に、

そう諭されていたわけです。

 

この場合の”大人”は、

20歳を超えた成人という意味ではなく、

内面の事を指すかと思われます。

年齢ではないということ。

 

例えば、

実際に体験した事例でいうと、

通常業務よりも過酷な仕事を

責任者として担当したことがありました。

 

その業務は、

事前に過酷な業務であると分かっており、

担当者の僕とチームのメンバーだけは、

過酷だと知らない状況にありました。

つまり経営サイドと営業サイドは、

事前に知っていたが、

現場サイドの我々には意図的に知らされて

いなかった業務でした。

 

なんとか業務をこなして完結したのち、

実は事前に過酷だと分かっていたと耳にした僕は、

上司に詰め寄りました。

 

「なぜ過酷な業務だと教えてくれなかったのか?

なぜ適切な対応で支援してくれなかったのか?

予め過酷だと分かっていたら出来る準備があったのに。」

と。

 

そうとう頭にきていた僕は、

当時の上司にそう喰ってかかりました。

それは僕だけではなく、

同じ業務を担当したチーム全員の、

苦労や思いも乗せてのことでした。

 

その時の上司の反応として、

「お前の言う事も分かるが、

会社の状況としては、

支援できる余裕など無かった。

事前に過酷だと伝えると、

担当するのを嫌がると思うし、

伝えにくい心情的な面もある。

だがお前の事を信頼しているからこそ、

過酷な業務も任せられると思っている。

それなのに反発があるなんて、

思いもよらなかった。

もう少し大人になってくれ。」

でした。

 

その上司の言葉、

端的に解釈すると、

「自分の都合より、

会社の都合を考えて、

黙って仕事しろ!」

にしか聞こえませんでした。

 

正直、

”会社の状況を考慮しろ”

とか、

”伝えにくい”は、

会社側の努力不足。

余裕の無い会社の状況の責任は、

僕には無いし、

コミュニケーション不足なのは、

上司の怠慢。

 

”お前を信頼してたのに”、

なんて言葉は、

部下の能力を考慮して、

適切に仕事の配分を吟味せずに、

仕事を丸投げしておいて、

失敗した場合の責任を擦り付ける、

最低の言葉。

 

上司の判断ミスでしかないのに、

”ガッカリ”したとか言われるわけです。

期待など最初からしていないくせに、

面倒くさいから任せっきりにしておいて、

挙句の果てに、

うまくいかないと、

”失望した”なんて言ったりします。

そう言って信頼を裏切られたフリをして、

被害者ぶるわけです。

 

で、

最後にトドメの一言が、

「大人になれ!」

なのです。

 

非常に抽象的な話しで申し訳ないですが、

こういう事が多々あり、

大体は不満をかかえて、

飲み会とかで愚痴ってみたりするだけですが、

たまに正面切ってぶつかると、

こうなってしまいます。

 

最初でも言ったとおり、

”大人”とは内面の事を指していると思われます。

 

が、

その内面の内容に関して言えば、

「力関係の上位にある者の言う事は絶対だと覚る」

とか、

「抵抗しても力の及ばない存在があると認識する」

とか、

「長いものに巻かれる事を良しとする」

とか、

「自分が何かを欲望する真の理由をひた隠しにして、

心にもない美辞麗句を並べ立てて自分を飾り立てる」

とか、

まだまだあるけど書ききれません。

 

反対に”子供”は、

そういったことまで考えが及ばず、

思ったことそのままストレートに、

口にしたり行動したりします。

そういう子供の行動を、

大人は嘲笑の対象とし、

そうすることを恥じとするわけです。

 

子供が成長して大人になるにつれて、

内面がそのように変化したとするなら、

それを成長したと喜んでいいものかどうか、

未だに疑問を感じている、

45歳の僕の内面は、

おおよそ3歳くらいです。

 
余談ですが、

とあるアイドルグループが、

「大人たちへの反逆」的な売り出し方で、

活動をしていました。

ところが、

実際に活動をコントロールしているのは、

概ね30代~50代くらいの人たち。

そこで、

”「大人たちへの反逆」を大人たちが演出する矛盾”、

なんて批判がチラホラ聞かれました。

 

さて、

その30代~50代の人たちは、

ずば抜けたセンスを持った作詞家、

世界的なダンサーだった振付師、

新進気鋭の作曲家、

斬新なアイデアの映像クリエーター、

才能あるカメラマン、メイク、衣装などなど、

各業界の過去のしがらみや常識など、

積み上げられたものを打ち壊して、

新しい何かを作り上げてきたからこそ、

現在のポジションにいる人たち。

そしてその人たちが、

さらに新しい何かを作ろうと挑戦している。

 

確かに、

10代の若いアイドルたちは、

指示されたとおりに動いているだけかもしれない。

が、

指示する側のクリエーターたちこそが、

「大人たちへの反逆」を作品を通して表現している、

としたらどうだろう。

 

なぜそのような事が可能なのか、

クリエーターである30代~50代の人たちは、

子供のままであるから。

良いエゴ、悪いエゴ

5年ほど前、

僕は社会から逃げた。

正確に言うと、

当時勤めていた会社での、

人間関係が嫌になり、

それが原因で、

今までの在り方を続ける事を

拒否した。

 

誰かが誰かを傷つける、

お互いに傷つけ合う社会、

そこにもう戻る気力が、

無くなってしまった。

 

だから、

会社を辞め、

マンションを売却し、

古民家を再生して住み、

畑を耕し、

自給自足を目指した。

 

目指す世界は、

誰にも頼らず、

干渉されず、

自力で生きられるライフスタイル。

 

今はまだまだ、

長い旅路のスタート付近。

そして社会から、

逃げて逃げて逃げた先には、

エゴがありました。

 

社会の一員だったころ、

エゴは悪者。

エゴを力づくで押さえつけて、

目指すはエゴの完全なる消去。

だからいつも自分は置いてけぼりで。

優先するのは、

他人の幸福。

 

人と仲良くしましょう、

和をもって貴しとなす、

協調性が大切ですよ、

利他の精神で、

嫌な奴がいるのは修業が足りないからだ、

云々。

 

もうたくさんだ!

実際はそこから逃げた。

そして取り戻した。

自分というエゴを。

そして気づいた。

エゴの丸出しには先があるってことを。

 

エゴの先にあるもの。

それは、

良い効果

と、

悪い効果。

 

良い悪いの基準は、

誰かを何かを傷つけないか、

誰かが何かが喜んでいるか、

ってこと。

 

ある時、

お風呂やストーブに使う薪を割っていました。

その薪は高安山で伐採された木。

放置されるよりも使ったほうがいい木。

山の持ち主は薪として使うことに喜んでくれていました。

 

そして薪を割ると、

中から木の中に寄生している幼虫がたくさん出てきました。

気持ちが悪いので、

たくさんの幼虫はまとめて庭の隅に捨てました。

 

捨てられた幼虫が、

庭の木に寄生して木を食い荒らし、

成虫になって出てきたら困るなって思っていたら、

どこからともなく小鳥が現れ、

大量の幼虫を食べつくしました。

 

小鳥からすれば、

滅多にありつけないご馳走だったに違いありません。

だって人間が木を割らなければ出てこない虫だからです。

きっと小鳥は喜んでいたでしょう。

その証拠にそれ以来、

毎日我が家の庭を訪れていたから。

 

僕は決して、

山の持ち主の木の管理を手伝いたかったわけでもなく、

小鳥に餌をあげたかったわけでもありません。

ただただ、

自分がお風呂に入りたかっただけ、

ストーブを焚いて温まりたかっただけ。

 

薪を作る最大で唯一の理由は、

自己利益。

 

その結果、

山の持ち主や小鳥が喜んでくれた。

喜ばそうなんて思ってもいない、

その外側で喜んでくれた。

 

僕は薪が手に入った時点で喜んだ。

だけどその影響で、

誰かが何かが喜んだことを知った僕は、

また喜んだ。

 

だから、

エゴは丸出しでもいいんだって思った。

ただし、

丸出しの後の効果を観察する必要があるって思った。

 

誰かが何かが、

悲しんだり、

苦しんだり、

傷ついたり、

そういう場合のエゴは、

すぐにでも引っ込めるべきだと思う。

よくよく観察して、

その効果を見極める必要がある。

 

そう考えると、

家も畑もしかり、

僕は働きたくなかったから、

タダで住める家が欲しかったし、

タダで耕作できる畑が欲しかった。

 

だけど、

家主や畑の持ち主は、

自分の資産が放置されることなく、

現役で使われ管理されることに喜んでいる。

 

人だけでなく、

使われている家は、

耕される畑は、

そのもの自体も喜んでいる。

に違いない。

 

エゴ丸出しの僕が、

エゴの効果で、

誰かを何かを喜ばせている。

その状況にまたエゴが喜んでいる。

 

誰かを喜ばせることを止めた途端、

自分だけを喜ばせることに集中した結果、

他の誰かが喜びだした。

自分さえ良ければ

 

文章書くの久しぶり~。

 

先日、

”Go To トラベル”キャンペーン?

がスタートしたので早速、

関東方面の温泉旅行を計画しました。

せっかく関東方面に行くので、

ついでに東京は町田市にある、

「武相荘」(白洲次郎邸)

という観光地へ行こうと思い、

東京都町田市のホテルを予約しました。

 

ところが最近、

”東京都は除外”

というニュースを見てガッカリし、

さらには、

東京のホテルのキャンセルが相次いでいる

というニュースを見て、

ホテルや旅館やお土産屋さん等など、

観光にまつわる職種の方々は、

本当に苦労をしているだろうなと思いました。

 

感染を拡大させないという思いと、

経済活動の停滞という不安と、

それぞれの思惑が交錯しているのでしょう。

誰かが誰かを傷つけ合う、

そんな社会がまだまだ続くようですね。

しかも、

キャンペーン自体にも賛否両論らしいですね。

 

僕は特に、

思想や政治、

信条的にこだわりが無いので、

自分が得をする事には飛びつき、

そうでない場合はスルーです。

 

なので、

今回のキャンペーンは、

旅行好きの僕にとっては大チャンス!

海外にはまだ行けませんが、

だからこそ、

日本国内の行ってみたいとこ、

泊まってみたいホテルや旅館、

食べてみたいレストランでの食事など、

キャンペーン中は思いっきり、

楽しもうと思っています。

 

そうすることで、

頂いた給付金や、

貯めている貯金を使って、

国内経済への還元や支援が出来るという、

副次的な効果もあるのでいいかと思ってます。

 

逆に、

感染拡大の一因となる可能性も否定は出来ませんが、

起きてもいない事にビクビクするような僕でなかったりします。

 

可能性があるというだけで、

何もかもを自粛するなら、

失敗の可能性のあることは全て、

チャレンジしなければいいのに。

 

人間としてのダイナミックな人生を生きることよりも、

おうちの中の平穏のみの人生を生きればいいのに。

 

何かを恐れて生きる人生なら、

死という現実に恐れおののき、

不安な一生を過ごせばいいのに。

 

禍福は糾える縄の如し

波風ある人生だとわかっているのだから、

生きることそのものを放棄することをお勧めします。

きっと安穏な人生となるでしょうね。

ニルバーナですね。

 

ただ、

キャンペーン除外になった東京のホテルは、

おそらくキャンセルにして、

隣りの神奈川県のホテルを予約し直すでしょうね。

東京のホテルの方には申し訳ないとは思いますが、

思っているだけで、

わざわざ正規料金を払ってまで泊まるつもりはないです。

 

基本的にはこういう考え方をしているので、

自己中心というか、

自分さえ良ければそれでいいというか、

そういう下劣な奴です。

 

だから、

世間や社会がどうであれ、

自分的に得な事、

メリット有る事には関心があるし、

それ以外は常に無関心だったり。

 

その根本には、

世の中がどうなろうが、

良くなろうが、

悪くなろうが、

自分の生活は、

自分が目指すライフスタイルは、

自分の心の自由は、

変化がありません。

 

そして、

そのライフスタイルや自由は、

自ら決めたことで、

誰からも押し付けられず、

誰の意見にも左右されず、

誰からも評価されず、

ただただ自己満足でしかありません。

 

しかし、

ただ自分だけは満足しています。

そして社会の変化に合わせて出てくる、

お得な情報にちょこっと乗ってます。

 

ちなみに、

今回のコロコロ騒動にまつわる、

様々な環境の変化や、

政府の政策等などを、

総合的に考えて、

僕的にメリットが多いです。

 

きっと、

デメリットの多い方もいると思います。

が、

そこにはいちいち思いを馳せません。

自分さえ良ければいいので。

 

苦しんでる方を助けたいとか、

社会が少しでも良い方向へ向かうようにとか、

そういう気持ちは皆無です。

まずは自分なのです。

その自分の在り方の責任も自分だからです。

 

ただ思うのですが、

地球上の全員が、

自分さえ良いと思える状態になったら、

自分だけが良い状態なったと各々、

全世界の人々が思ったら、

一人ひとりがそれぞれ独自にハッピーなら、

それでいいんじゃないですか?

 

誰かを傷つける事無く、

自分だけが幸せだと思える状態は

実現可能だと思います。

 

そんなエゴの塊みたいな僕ですが、

エゴにも、

良いエゴと、

悪いエゴがあると思ってます。

次のブログでは、

その違いに関して書こうと思います。

ラッキーながらも不可解

最近ラッキーな事がありました。

 

ハワイから帰国後、

なので3月11日以降、

なんだかんだで英会話教室が閉鎖され、

英語学習が滞っておりましたが、

6月から再開するとのことで、

その前の一週間はナント、

無料のウォーミングアップ講座を開くと

英会話教室から連絡がきました。

客離れを食い止めようということですかね。

 

まあそれで無料の講座を受けたという

ラッキーな話なのですが、

電話で予約する際に、

「無料講座はもちろん一人につき1回限りですよね?」

と聞いたところ、

「いえ、何回でも可能です」

と答えたもんですから、

めちゃくちゃテンションが上がってしまって、

1回電話を切ってしまいまして。

 

いやいや、

待て待て待て、

「何回でも可能」ってことは、

予約に空きさえあれば毎日朝から晩までも可能?

と頭を整理しながら思いつつも、

いやいや脳がパンクするやん

って思い直しながら再度電話で

「月・火・木・土の3時から2時間づつで予約します」

と計8時間分を無料で予約しました。

 

若干がめついかなって思ってたら、

その電話の横で、

うちの嫁さんが、

「神様が”豊かさをいくらでも好きなだけどうぞ”と言ってるのに、

そんな事は信じられないと言いながら拒む人間の愚かさ」、

と言ってました。

毎日朝から晩まで予約したったら良かったかな・・・。

 

それはともかく、

無料講座の条件としては、

”先生1人に対して生徒2人のスタイル”

だったんですが、

実際に行ってみると、

全然予約が無くて、

大概は先生とマンツーマンレッスンでした。

 

これはマジでラッキーなんです。

マンツーマンレッスンは当然ながら授業料が高い!

なのに無料で6時間分くらいはマンツーマンでした。

しかも講座内容も普段と変わらずの内容で、

かつ、

2時間連続をほぼ毎日でも十分に対応できたので、

この4日間はめちゃくちゃ楽しかったです。

いやいや一日3時間ずつでも良かったよ、

マジで。

 

コレって僕は自慢と思ってブログにしていますが、

自慢になってるでしょうか?

金額にすると3~4万円分くらいの授業料だと思います。

 

ところが6月からの通常の授業、

もちろんお金が普通にかかる授業、

そちらの予約状況はもうパンパンで、

なかなか空きが無いそうです。

 

この一週間はいつ行っても、

見るからにガラガラやったのに、

なぜ6月からはパンパン?

しかも無料講座はガラガラで、

有料の通常講座は予約困難?

なぜ?

 

生徒の皆さんはマジのマジで、

神様からの豊かさを拒否する趣味なんでしょうかね?

3週間続ければ一生が変わる

今年の2月16日から、

3月11日までの3週間ちょっと、

ハワイ島へ旅行をしていました。

あれからもう2か月も経つかと思うと、

月日の流れの速さを実感します。

 

ハワイ島へ行っている間、

日本のニュースを見るにつけて、

「日本は大変な事になってるなぁ」と、

他人事のようにニュースを眺めていたものです。

 

実際にハワイ島では、

誰もマスクもしていなければ、

スーパーでの買い溜めも起こっておらず、

話題にもなってなかったくらいです。

日本人の僕と会話していても、

差別的なことなんて勿論ありませんでした。

出国した3月11日までは。

 

逆に、

日本に帰国する際には、

妙な不安を感じていましたが、

飛行機の中でも、

入国審査などの空港の中でも、

特別何か入国するに際して、

検温するだとかの対策もありませんでした。

 

空港から自宅へ帰宅する際にも、

駅や街中は、

若干の人出の少なさは感じたものの、

意外と通常で肩透かしを食らったようでした。

 

異常な日常の日本に対する、

怖いもの見たさに、

ワクワクしていたのに。

感染するかもしれないという恐怖で、

ドキドキしていたのに。

全然ふつうやん…。

 

そして帰国してからもう既に、

1カ月以上が経ちました。

ハワイから帰国して、

普通の生活に戻るにつれて、

体の異変を感じる事が、

実は度々ありました。

 

そして最近、

体の異変の原因と正体について、

思い当たる点に気づいたので、

この場を借りてご報告させていただきます。

 

先ずその体の異変の正体について、

帰国してからこの1カ月の間、

なんと、

”マメ”に働くようになってしまいました。

 

このご時世で体の異変といえば、

味覚や臭覚が無いとかの、

アレかと思わせるかのような書き方でスミマセン。

ただマジで何故かアクティブに、

なってしまったのは本当です。

 

具体的にどう”マメ”になったかと言えば、

・早起きするようになった

・早朝から家の掃除をするようになった

・キッチン周りの片付けを特にするようになった

というような内容です。

 

主婦からすると全然当たり前の事なんでしょうけど。

おかげで嫁さんがめっちゃ喜んでます。

キッチンの窓までリフォームしちゃいました。

 

そして何故そうなったかについては、

そうなる前のハワイ島の旅行で、

他人の家をレンタルする

エアビーアンドビー経由の、

アパートメントを借りて滞在していた事が、

大きく関係しているようです。

 

そこでは毎日ワクワクして、

早起きしていたのと、

他人の家を借りているということもあって、

こまめに清掃をしていました。

特にキッチンを常に清潔に保っていたので、

気持ち良く毎日自炊していました。

 

料理をした後に、

洗い物をして片付ける。

当たり前ですね。

 

ただバケーションレンタルの場合、

宿泊費以外に、

クリーニングフィーを別に支払うので、

ゲストがわざわざ室内を清掃をする必要はないのですが、

22泊という長期滞在だったので、

汚したままだと自分が気分が悪いと思い、

こまめに清掃することにしました。

 

そしてそのことが帰国してからも、

ずっと続いている。

つまりはこれは、

習慣化していると、

自分自身で気づきました。

 

おそらく昔、

「3週間続ければ一生が変わる」

というような本を読んだと思います。

そこでは、

”人間が何かを習慣化するのに必要な時間は21日”

というような内容だったはず。

 

それが本当がどうかは別としても、

素直にその説を信じていたので、

3週間続ければ習慣化するから、

何かを身につけようとチャレンジしたものです。

 

英会話だったり、

楽器だったり、

ダイエットだったり。

が、

なかなか意図的に3週間続けられないものです。

 

もともと習慣にないものを、

習慣化するということは、

かなり労力がいる作業なので、

3日坊主という言葉もあるように、

3日も続いたら良い方なんでしょうね。

 

ところがそれが3週間、

ハワイで生活をしただけで、

無意識に身に付いたということが、

自分的にはビックリしているのです。

 

非日常のハワイ生活で、

普段やらない事をその期間続けただけで、

日常の日本に戻っても続けてしまう。

 

意識的にやろうとしても続けられない事なのに、

無意識の状態で習慣化したという事実が、

驚きなのです。

 

結果として、

非日常から、

日常へ、

環境が大きく変わっても、

行動は同じまま。

自分では気づかないうちに。

 

我々は今、

非日常の状態にいます。

そして、

無意識に何かを習慣化するには、

十分な期間の非日常です。

いずれは日常に戻ります。

 

何を習慣化させられているか、

どのような思考法、

どのような行動、

どのような生活態度、

そのような事に、

常に目を光らせる必要がありそうです。

 

自分が気づかないうちに、

誰かの、

何かの意図に沿った、

コントロールされた、

人間にならない為に。

宇宙戦争をするなら今!

先日のラジオ録音の時に、

少しお話ししたのですが、

我が家では洗剤を使いません。

 

お風呂ではシャンプーやリンスを使わず、

お湯のみの洗髪だったりします。

体の汚れは湯舟でゴシゴシするだけ。

 

キッチンでも水やお湯のみで洗います。

油汚れも紙で拭いた後、

お湯で洗い流します。

拭き取った紙はもちろん、

お風呂の薪ボイラーで燃やします。

 

その他、

家の掃除にも洗剤を使う事は無く、

トイレなんかは、

汚物の分解を微生物の処理槽で行う、

バイオトイレなので、

間違っても洗剤なんかは使えません。

使えば微生物が死に絶え、

汚物が処理されないまま溜まってしまいます。

 

そんな我が家の生活の中で僕は、

手洗いうがいも一切していません。

畑から帰ってきても、

手を洗わずに食事をしたりします。

 

それが人体に及ぼす影響がどの程度あるか

全くわかりませんが、

現状はすこぶる体調が良い方だと思います。

 

そしてここ最近、

手洗いとうがいの奨励がされていますが、

それでも全くしていません。

 

しないと風邪をひきそうですが、

それよりも睡眠を良く取るだとか、

野菜や玄米をよく噛んで食べるとか、

精神的にストレスを溜めないだとか、

そういった予防の方が効果があると

勝手に思っています。

 

しかし、

過去の自分を含め現代人をよく見ると、

睡眠や食事やストレスなどへの配慮はあまりせず、

体調の不良の原因をすべて菌やウィルスのせいにしています。

その方が都合がいいからなんでしょうけどね。

 

やりたくてやってると思いますが、

夜遅くまで働き、

早朝起きて勉強をし、

肉を食べて体力をつけ、

会社の上司や客や家庭への不満を抱えながら、

慢性的な体調の不良に慣れ親しんで、

スッキリしない頭で毎日を乗り切る中で、

風邪をひいてしまったら、

菌やウィルスが悪いから

薬を飲んで悪の菌を殺してしまえと、

こういうライフスタイル。

 

ところがよく言われることですが、

除菌、抗菌、滅菌、などなどを

必要以上に行うことで、

逆に体の免疫力を下げるらしいです。

 

よく考えてみると、

人間がこの世に出現してから最近までは、

現代人の目線で言うところの、

衛生的に不潔の中で生活をしてきました。

 

過去幾度となく伝染病や感染症に

悩まされてきましたが、

それでも人類は生き残り、

過去最高の人口増となっています。

数だけでいうと大繁栄なわけです。

 

ところが今、

人類初の大問題に遭遇しています。

それが除菌、抗菌、滅菌の

超・清潔文化です。

 

清潔にすればするほど人口が増えているかといえば、

清潔文化を実行している先進国の人口は減少傾向にあります。

逆にまだまだ発展途上の衛生管理もまだまだの国は、

人口は未だに増え続けて世界は77億人くらいです。

 

だから除菌、抗菌、滅菌なんかの菌への攻撃が、

人間の抵抗力を奪い、

人口減を招いている、

なんて短絡的に考えているわけではないですが、

世の中的に清潔で良いイメージといえば、

やっぱり除菌、抗菌、滅菌みたいです。

 

悪いのは菌だ!ということで。

悪い菌は薬でやっつけろ!ということで。

 

さて当たり前の話ですが、

この世の中から菌を撲滅することは不可能です。

というか基本的には菌などの微生物が、

この世の中を作り上げています。

 

それを撲滅するということは、

自分を抹殺することと同じ。

人間は菌や微生物と共生してると思われていますが、

共生ではなく依存しています。

菌無くして人間は存在できません。

 

例えば、

腸内細菌の数は100兆個、

人間の細胞は60兆個、

その人間の細胞の中にいるミトコンドリアは、

細胞1個につき平均300~400個。

圧倒的に、

自分の細胞意外の菌や微生物によって、

人は構成されています。

 

ちなみに、

自分の細胞の解糖系が糖を分解して

作り出すエネルギーは2個、

に対して、

ミトコンドリアが酸素を使って

作り出すエネルギーは36個。

 

ミトコンドリアがいなければ、

呼吸して体を動かす事が出来ず、

真核細胞の我々は、

酸素の毒で死んでしまいます。

 

昔観た「宇宙戦争」という映画で、

地球外生命体の地球侵略に、

人類は全く歯が立たず、

あと一歩というところまで追い込まれます。

ところがなぜか地球外生命体は、

勝手に死に絶えてしまいます。

 

意味もわからず人類は助かるのですが、

地球外生命体が死に絶えた原因は、

ズバリ微生物の存在。

 

地球に降り立ち、

地球で呼吸をし、

地球で食事を取り始めてから、

地球外生命体は死に絶える運命でした。

 

微生物への抵抗力が無い地球外生命体は、

地球太古からの存在の病原菌にやられてしまうのです。

 

もしまさに今、

エイリアンが地球に攻め入っても、

きっと人類は生き残れるんでしょうね。

ジコチューで行こう!

前回のラジオ出演のブログで、

「僕は自己チューです!」

と書いた後に、

ちょっと気づいた事がありました。

 

前回のブログはコチラ
http://takayasu-style.com/2020/03/19/2020031902/

 

その気づいた事とは、

「自分さえ良ければいい」

と、

「自分ファースト」

は違う。

 

同じように感じますが、

「自分さえ良ければいい」は、

自分以外の他人はどうでも良い。

ひたすら自分の利益を図ること。

 

「自分ファースト」は、

先ずは自分の利益を図る。

が、

自分が満たされれば、

他人の事も考慮する気持ちは持っている。

 

表面的には一緒ですが、

自分が満たされた後、

他人まで視野に入ってるか、

入ってないかの違い。

 

だけど現代社会では、

自分が満たされることさえほとんどないので、

やっぱり見た目は同じ。

 

さて、

僕はどちらかといえば、

自分が満たされれば、

余裕が出来たなら、

他人の事も考慮してもいいかなって

思っています。

一応ね。

 

もちろん現状は満たされていないので、

どう見ても自分勝手な自己チュー。

他人の事を考える余裕が無いもので。

 

過去を振り返ると、

うまくいかない人生を変える為の、

自己啓発の本やセミナーなんかで、

”利他の精神”という言葉に洗脳されてきたので、

つい最近までは利他をやっていた。

 

やっていたというか、

やっていたのは”なんちゃって利他”。

サラリーマンの苦しみから抜け出す為に。

 

他人の為になる事を行えば、

回り回って自分に帰ってくる、

って思ってた。

情けは人の為にならず、

という諺のとおりに。

 

他人に対してたくさんの善い事をやったんだから、

自分にも大きな利益として返ってくるよね?

神様?

っていう態度で。

 

で結局、

思うような結果が返ってこないので、

さらに利他行を加速させて、

こんだけやったんだから願いは叶う、

って思ってずっと繰り返してた。

 

自分が幸せになる為には、

他人が幸せになってから、

が前提条件のような、

他人の幸せが踏み台のような、

まるで便利なツールかのような

考え方で。

 

正直今から考えると、

僕は本当のバカだったんだなあって、

我ながら思います。

 

見返りを求める利他行は、

利他とは言わず取引という。

コレを差し出すからアレをくれ。

ギブアンドテイク。

 

ずっと利他行と思ってたことは、

実際は自利行だったという悲劇。

そら人間として成長しなくて当たり前。

だからめっちゃ悩みました。

悩むべくして悩んだね。

 

本当の利他行は、

見返りがあろうがなかろうが、

他人の為に善い事をすること、

ではないだろうか。

 

確かに見返りがあることもあるけど、

見返りがあったことを殊更強調して、

成功する為に利他行をしなさい、

と宣う成功者は、

勘違いも甚だしくない?

そしてまんまと乗せられたバカな僕。

 

その反動といってはなんですが、

リハビリも含めて、

過剰な自分ファーストでもいいかなって

思ってたりします。

 

そうやって、

我儘放題の自分ファーストの結果、

今のライフスタイルがあったりします。

 

他人だって、

自分だって、

同じ人間。

誰かを幸せにしたいなら、

その誰かの中に、

自分も入ってはきませんか?

 

自分を満たすことは、

自分以外の誰が出来るんでしょうか?

 

自分以外の誰も幸せにしたくない

って言ってるんじゃなく、

1番が自分で2番以降は必然的に他人

ってこと。

自分は二人もいないからね。

僕はそいういう「自己チュー」かなって思います。

 

ちなみに、

 

「この瞬間を無駄にはしない

人生あっという間だ

周りなんか関係ない

そうだ

何を言われてもいい

やりたいことをやるんだ

ジコチューだっていいじゃないか?

マイウェイ

みんなに合わせるだけじゃ

生きてる意味も価値もないだろう

やりたいことをやれ

ジコチューで行こう!」

 

っていう歌詞の曲があります。

そういう時代なのかも。

「IT/イット”それ”が見えたら、終わり」か?

 

うっかり勉強不足で、

ブログを更新する為に、

管理者ページへのログインをしようとしたら、

ログインが出来ない事に、

ハワイ島で気づきました。

 

不正ログイン防止の為か、

海外からのログインは出来ないようです。

約1か月の間、

ブログの更新が出来なかった言い訳です。

 

で、

昨日3月10に、

太平洋上の飛行機で鑑賞した映画、

「IT/イット”それ”が見えたら、終わり」

について、

早速ブログにします。

 

約1か月の間にせっせと作ったブログの未公開ネタは、

後ほど順次公開します。

 

まず本題に入る前に、

【あらすじ】
「1988年秋から物語は始まる。立て続けに起こる行方不明事件の最中、雨の日にビルの弟であるジョージーが行方不明となる。
1989年の夏休みに入る頃、ビルをはじめ少年少女の仲間たちが、連続行方不明事件の謎を探ることとなる。
それぞれ悩みを背負った少年少女たちが恐怖に立ち向かう姿を描く。」

 

ここからはネタばれが含まれます。

これから映画を見る人は読まないでください。

 

と、

まるでアマゾンのレビューの様に注意してみる。

ちなみにレビューのようで、

レビューとしては書くつもりはありません。

恐怖についての考察のつもりです。

 

簡単に説明すると、

行方不明事件の首謀者はIT”それ”です。

IT”それ”はピエロの姿で描かれています。

IT”それ”=ピエロは子供を襲います。

それぞれの子供にはIT”それ”への見え方が、

それぞれによって違います。

大人には見えず子供だけに見えます。

 

映画での表現なので、

ピエロは実体的にリアルな殺戮者のように感じますが、

(例えばジェイソンやゾンビなんかの実体)

実際のところは虚像に過ぎません。

虚像なので人それぞれによって

自分なりに恐れているものが違うので、

それぞれが違った虚像を見ます。

 

つまり

IT”それ”=ピエロとは恐怖心の事です。

 

ちなみにこの恐怖心を具現化するピエロについて、

日本人にとってピエロは、

恐怖の対象にはなりにくいと思いますが、

欧米人にとっては恐怖なんでしょうね。

 

いまいちピンと来ないけど、

たとえば部屋中がピエロの人形だらけでも、

日本人はそんなに恐怖は感じないでしょうけど、

(キモイけどな)

逆に、

部屋中が日本人形だらけだと、

めちゃくちゃ恐怖を感じると思います。

 

供養の為に、

お寺に人形がたくさんあったとしても、

訪れた外国人は

「なんで?」

って思うんでしょうね。

 

これは、

それぞれの国や地域の

文化や風習から刷り込まれる

恐怖の対象が違う為に

起こる違和感。

 

なので、

ピエロや日本人形への恐怖は、

作られた恐怖であり虚像です。

 

ですが、

死そのものに対する恐怖は

地球上のどこにいても同じなので

恐怖への共感性は存在します。

だから十分ホラーとして成り立ちます。

 

ちなみに、

死に対してのリアルささえも、

虚像として捉えることで、

死への恐怖を乗り越えられるかどうか、

その辺りについても自分なりに考察してますが、

長くなるので機会があれば書きます。

 

この映画作品に関して、

虚像を恐れる作風は

より日本的なホラーであって

リアルな殺人者が迫ってくる欧米ホラーとは

恐怖の種類が違うと思いますし、

日本人向けともいえるかもしれません。

 

さてここからが大事、

 

映画のクライマックスでは、

IT”それ”=ピエロをやっつけます。

映画終盤までIT”それ”=ピエロに

散々な目に遭わされてきましたが、

最後はまるでいじめかのような、

リンチするかの如くになぶり殺しにします。

 

最後にIT”それ”=ピエロに勝利した秘訣は

・自分が持つ恐怖への対象を良く知ったこと

・恐怖に立ち向かったこと

・恐怖心を乗り越えたこと

でした。

 

そもそもIT”それ”=ピエロは虚像なので

恐怖心が無くなれば自動的に消えます。

それが普通は緩やかに、

大人になるにつれて消えていくものですが、

映画の主人公は、

一気に成長を成し遂げます。

 

また大人になり、

緩やかに子供の頃の恐怖は消えたとしても、

恐怖を乗り越えた経験や知識が無ければ、

また新たな恐怖を自分で創造し、

それに怯えます。

 

虚像に打ち克たなければ、

一生恐怖に怯える人生になります。

これは自作自演だと言えます。

 

自分で恐怖心を煽り、

恐怖に怯えながら、

恐怖の為に行動し、

恐怖の奴隷となる。

 

最近、

全世界でもIT”それ”が現れていますね。

恐怖が世界を覆っている感じです。

 

現在のIT”それ”に適用できるかわかりませんが、

IT”それ”をやっつける方法は、

映画で得たヒントを参考にすると、

・恐怖への対象を良く知る

・恐怖に立ち向かう

・恐怖を乗り越える

でした。

 

まずは自分が恐れている対象について

より良く知る事からでしょうか。

知れば対処法も見つかるでしょうし、

対処すれば乗り越えられそうに感じます。

 

勝手な想像をしていませんか?

白い球体に赤い突起がたくさんついてるものが、

空気中に漂い、

つり革に付着し、

体内へ侵入したら最後、

死に至らしめるイメージを。

 

IT”それ”は虚像であり、

他者からの刷り込みが発端の、

自作自演です。

 

これ以上世界がパニックにならないように願います。