アタマのなかみ

軸を持て!

軸を持ちなさい

と、よく世間では言います。

軸を持っていないと、

お前ブレブレやんけ!

って言われます。

 

そう言われない為に、

軸を探す事になるんですが。

果たして軸は何処にあるんでしょうか?

 

ここで非常にナイーブな話に触れるので、

嫌われ覚悟で書きます。

あっ、元々嫌われているから問題ないか・・・。

で、

 

一番簡単でスピーディーな軸といえば、

宗教になります。

 

たとえば、

タカヤススタイル教の信者の皆様は、

教祖である町田尊師の

発言、

ブログ、

SNS,

などなどで情報をつぶさにチェックします。

ブログはプリントされて経典にし、

肌身離さず携帯。

 

そして逐一、

自分の行動を、

尊師の発言やブログに照らし合わせて、

間違っているかいないかの

判断を行います。

 

もし町田尊師が、

「口に入れる食べ物は自然のものだけ」

と発言しようものなら、

普段の食生活は一変、

自然農法で作られた作物を探し回って

日々食べる事になります。

 

誘惑に負けて、

マクドナルドで、

ポテトとビックマックなんかを食べた日は、

町田尊師を思い浮かべて、

涙ながらに懺悔します。

 

そして今の自分の心境に合った言葉を

ブログやSNSから拾い出してきて、

それを励みにもう一度頑張ります。

いわゆるこれが軸です。

 

この、

「自分の行動を、

尊師の発言やブログに照らし合わせて、

間違っているかいないかの

判断を行います。」

って部分が特に軸。

 

あらゆる宗教は、

あらゆる問題に対して、

最適解を用意してあるので、

それなりに問題は解決します。

 

宗教だと話しは早いのですが、

無宗教の方は代わりの何かを軸にします。

 

歴史上の人物だったり、

大物政治家だったり、

大経営者だったり、

自分の両親だったり。

代わりの何かは、

具体的な解決策の提示が無いので、

ほぼ迷うことになりますけどね。

 

宗教だろうが、

代わりの何かだろうが、

人や組織は変われど、

軸のシステムそのものには変化はありません。

 

つまり軸に照らして判断する。

軸は例えて言うなら、

モノサシ

とも言えます。

 

モノサシを持っていると、

対象の物のサイズが即座に測れます。

モノサシを持ってないと、

相対的な判断しか出来なくなる。

 

アレよりは長い。

コレよりは短い。

絶対的か相対的か。

だから軸を持つと、

行動に一貫性が出てくるので、

良しとされる。

 

ホントにそうなのか?

 

世界にはモノサシがたくさん有ります。

センチ、

インチ、

寸、

キュビット、

ベルスタ、

ハロン

etc…

 

そのどれもが何かを根拠に、

メモリを刻んでいる訳ですが、

使用する側は、

そんなことを考えて使いません。

 

1センチがなぜ1センチなのか。

住む場所や時代が変われば、

なぜ同じ物を測るモノサシに

違いが出るのか。

 

軸が良しとされることに疑問を持つのは

そういったところにあります。

 

尊師が化石燃料は奪い合いの精神だと言ったから、

モノサシは5センチを指していたから、

それを自分の行動に変換すると、

車には乗らない、

これは5センチに間違いない、

となる。

 

そこに、

化石燃料は枯渇しないので満たされている、

とか、

これは17キュビットではないだろうか、

という視点はありません。

 

つまり、

常に自分の頭で思考して判断する

ということを放棄して、

判断を何かに依存させた楽な状態

が軸なわけです。

 

だから、

常に自分の頭で思考して判断する

、がもし出来るならば

軸は必要ありません。

 

もし、

1センチの根拠に言及できるのであれば、

モノサシは不要。

世の中に絶対的な存在など無く、

すべてが相対的に変化し合っているから、

という認識さえあれば。

 

自分自身に言えることとして、

「軸を持たないという、軸を持て!」

現実世界の希薄さは、異空間の濃密さ

前回からの続き。
http://takayasu-style.com/2020/01/22/2020012201/

 

人と人の繋がりが希薄になったのは、

高度成長期あたりから、

人々が村からの自立を始め

都会に住みだしてから。

 

そんな事を考えながら、

郡川の村を眺めていたら、

ほとんどが70代から80代。

高度成長期時代に村から飛び出していった世代やん!

 

まさに村を否定した、

自立を選んだ最初の世代。

そんな周辺の人々と繋がりを持とうとした、

僕は思慮が足りなかった。

反省。

 

同じ郡川という村でも、

それ(自立)以前と以後では、

内容がまるっきり違うだろう。

コミュニティーの再生なんぞ、

絵に描いた餅のようだ。

たとえリアルな餅だったとしても、

長く続ける自信が無い。

 

そして、

人との繋がりの希薄さは、

世間の危惧に反して、

さらに加速していく。

良いか悪いか、

そんなことじゃない。

世の中の流れとして、

確実に希薄になっていく。

 

但し、

リアルの世界の話しに限る。

今はホントに過渡期。

だから迷う。

 

その反面、

希薄な人の繋がりが、

実は極度に濃くなりつつ場所がある。

それがネット空間、

バーチャルの世界。

 

その空間・世界が、

さらに高速に大容量に拡大するっていうから、

繋がりも加速するでしょう。

5Gの話しに戻ってきた!

 

僕が学生だった頃、

彼女を作りに行く場所は、

コンパ。

だけど、

最近は、

出会いサイト。

コレって常識。

 

プロフィール乗っけて、

スペック並べて、

盛った写真貼っておく。

連絡取れた娘と、

気が合えば会ってみようかな。

だからあんまり飲み会とか好きじゃない。

直接会って探り合うの苦手だし。

それより家でスマホで彼女探し。

 

リアルは薄く、

ネットで濃く。

万事この調子。

 

だから、

心配はしていないよ。

人と人の繋がりが希薄になることを。

希薄になるんじゃない。

繋がる場所が変わるだけ。

リアルかバーチャルかの比重が変化するだけ。

 

そして繋がる空間は、

世界に向けて広がっている。

 

『最近興味を持ってくれた、

連絡し合ってる娘は、

シリア人。

良さそうだから会ってみようかな。

LCCでシリアまで25,000LINEポイントだし。

同時通訳アプリあるし大丈夫。

だけど会話そのものが微妙。

リアルの女の子との会話が苦手なんだよな。

恋愛シミュレーションゲームだと無双なんだけど。

そういえばyoutubuに、

「リアル女子に好かれる会話講座」

ってのがあったな。

しかもリアルタイムのささやきアドバイス有りで』

とか。

 

そしてあらゆる事が近い将来、

バーチャル空間で行われることになる。

想像もできなかったことが。

そしてリアルに人は、

どんどん孤立化していく。

 

やがてコミュニケーションは、

テレパシーのような形態へと

進化していく。

文字が無かった頃の縄文人は、

テレパシーで会話をしていた。

テレパシーで繋がり合った縄文人は、

1万年間もの平和の時代を過ごした。

らしい。

 

テクノロジーの進化が、

先祖返りを起こすきっかけになるかもしれない。

あるいは人間の存在そのものを、

根底から覆す事態になるかもしれない。

 

AIが全人類の知能を超える瞬間、

シンギュラリティという、

その瞬間を、

自分の目で見たいと思います。

5Gで人と人が繋がる!?

5Gとは、

ファイブジェネレーションと読み、

第5世代移動通信システムの略。

 

超簡単に言えば、

インターネットが今までよりも、

格段に速くなり、

容量もバカでかくなるから、

おかげでよりたくさんの処理が可能。

 

ということは、

サービスというか、

出来る事の範囲がより一層、

広がる感じ。

よりクリエイティブに。

 

逆に懸念されてることとして、

強力な電磁波が人体に与える影響が大。

その辺り、詳しく調べている方がいると思うので、

興味があればGoogle先生に聞いてみて。

 

今回は5Gの話しがしたいわけではない。

5G以降の未来の話し。

というか、

人と人の繋がりの話し。

 

昨今、

人と人の繋がりが希薄になってると謂われています。

昔に比べると、

ご近所さんや、

親戚同士の付き合い、

なんかが簡素化されている感じで。

 

町内会に入らない、

若い世代の夫婦も多数。

隣の人の顔すら知らない、

とかも結構ある。

 

だから再び地域のコミュニティーを取り戻そう、

なんて活動もたくさん存在する。

大規模な災害が起こる度に、

「絆」って言葉が強調されたりする。

 

タカヤススタイル当初、

郡川という村に越してきた当初、

人と人の繋がり合い、

その辺にチャレンジしてみた。

だけどなぜかしっくりしない感じ。

 

ご近所付き合いや、

地域の繋がりの重要性を、

具体的な行動で、

実行したいと思っていたけど、

そして自分なりに実行してみたけど、

ずっと違和感を感じていた。

 

なぜなんだろう?

 

その疑問を解決するべく、

村の繋がりが希薄になっていった、

そのプロセスを考えてみた。

 

おそらく、

村の繋がりの機能としては、

戦後すぐまでは活きていたはず。

繋がりが徐々に崩壊し始めたのは、

高度成長期時代くらいか。

 

なぜなら、

人々が自立し始めたから。

自立するための仕事が都会にあったから。

お金があれば生活できる世の中に、

急速に変化していったから。

ここから社会は劇的に変化し始める。

 

それまでは、

自身の生活は村に依存していた。

一人では生きていけず、

お互いが協力しあって生きていた。

繋がりがあって初めて成り立った。

それが村というコミュニティ。

 

昔は大体が農家だったろうから、

田植えだとか、

水の田んぼへの引き込みだとか、

老人の扱いだとか、

子供の世話とか、

協力がなければ成り立たなかっただろう。

 

もちろん、

それを維持するために、

ルールがあったはず。

今でいう法律とかそんなんじゃなくて、

村の掟。

作法ともいう。

 

きっと、どの時代の若者たちも、

そんな掟や作法が嫌だったはず。

因習にまみれた老人たちの言葉は、

聞きたくなかったはず。

いつの時代も同じです。

 

だけどどの時代の若者たちも、

掟に抗えなかった。

掟破りは村八分。

それは生活が成り立たない事を意味するから。

 

ところが、

村八分になっても、

生活が成り立つ時代がやってきた。

それが若者たちがサラリーマン化していった最初の時代。

 

若者たちは村を去り、

金の卵ともてはやされ、

都会に住みだし、

同じ境遇の若者と繋がりだし、

自立の喜びを分かち合う。

今から60年ほど前のこと。

 

そこには村の掟なんか存在しない。

自分たちのルールを自分たちで作るんだ。

文句を言う老人たちはいない。

さぞかし刺激的だったでしょう。

 

それから60年、

世の中の労働者世代は、

ほとんどがサラリーマンとなり、

徐々に村は、

村としての役割を終えることになりました。

 

最初に村を飛び出した若者たちは、

村の繋がり、

人の繋がり、

そういった中から飛び出したので、

繋がりへの意識はあったでしょう。

 

だけど、

逆にその過度の繋がりが、

ウザいと感じてもいたでしょう。

繋がりは大事だけど、構わないでいてもほしい。

アンビバレント。

 

それから下の世代は、

強力な村の繋がり、

人の繋がり、

に対して具体的に意識できないので、

年々薄れていったのではないかと思います。

 

話しが長いので、

続きは次回にします。

変化というテーマパーク

いい時代ですね。

ホントいい時代です。

 

悪い事に目を向けてしまうと、

世界にそれは満ち溢れている。

それが許せない時もある。

でも、楽しい事に目を向ければ、

ワクワク、ドキドキ。

 

薪ストーブで暖を取りながら、

揺らめく炎を見つめていると、

なんとなくそんな気分になってしまう。

世界は平和だと。

ほっこり。

ただし、

自分の中の世界のお話。

 

 

楽しい事の一つに、

テクノロジーの進化があります。

昨年末に、

新しいパソコンを購入しましたが、

性能が格段に良くなっている!

速いし、軽いし、快適!

ムーアの法則、というように、

常に進化していますね。

 

 

パソコン一台あれば、

出来る事がどんどん増えている。

買い物、

エンターティメント、

コミュニケーション、

自己表現、

ゲーム、

仕事、etc…

と、

挙げればきりがないほどに。

 

 

僕が学生の頃、

たかだか20~30年前、

上に挙げたような事をするには、

常に外側に求めていた。

それが今は、

パソコンの中。

さらにパソコンからスマホに移行しつつある。

引き籠りたくなる理由がわかる気がします。

 

 

こんな風になるとは、

小さい頃の僕には想像できなかった。

もちろん、

伊藤博文や織田信長、源頼朝、聖徳太子のような

偉人にだって出来なかっただろう。

パソコンひとつ採ってみても、

テクノロジーの進化は凄まじい。

まして世の中のすべてのテクノロジーとなると、

激動も激動。

 

 

激動すればするほど、

何かが、

簡単に、素早く、快適に、

なっていく。

それを享受しない手はないよね。

いい時代です。

 

おそらく、

人類の最初から、

西暦1900年初め頃までは、

緩やかだったに違いない。

だけどこの100年くらい、

もの凄い。

 

タカヤススタイルというライフスタイルは、

どちらかというと、

前時代的。

緩やかだった頃のスタイル。

薪でお風呂を沸かし、

暖炉で部屋を暖める。

バイオトイレの微生物が排泄物を処理。

畑で食料自給。

自然界からエネルギー自給。

古民家の再生。

再利用可能なものの使用。

持続可能性を求めた生活の探求。

 

でも、

享受できるテクノロジーは取り入れて、

且つ、

激動を楽しもうと。

時代に乗っかっちゃえ、

と。

前時代の生活様式と、

最先端のテクノロジーとの

融合。

 

例えて言うなら、

江戸時代の庶民が、

「超未来」っていう趣旨の、

テーマパークに来た感じ。

せっかく来たんだから、

せっかくいるんだから、

楽しんじゃえ!

って感じで。

テーマパーク感あるよね、今って。

 

だからどんな時代よりも、

今のこの激動の変化の時代に生きていて、

良かったって思う。

ライフスタイルが前時代的だからと言って、

江戸時代や、鎌倉時代に、

生まれたら良かったなんて、

全然思わない。

縄文時代は1万年間も平和な時代が続いて、

人々は協調しながら繋がりあっていた。

としても、

今、

この時に生きてて、

良かったと思う。

 

 

悪い事に目を向ければ、

それはたくさん存在する。

自分の外側に。

 

でも、

楽しいことに目を向ければ、

ワクワク、ドキドキ。

それは自分の内側。

得なのか、損なのか、教えてくれよWindows10

windows7のサポートが今日で切れますね。

昨年末、

Windows7搭載のパソコンの起動時の遅さ(起動速度4分)
にウンザリして、買い替えを決意。

サポート終わるなら仕方ないと、嫁公認。

密かに前々からチェックしていたWindows10のパソコンを
ソッコーで購入。

早速おニューのパソコンを起動してみて速度計測。

21秒!

激早やっ!

さすがM.2 SSD。

買って良かったと感動する。

年明け、

Windows10への無償アップグレード期間って
いつまでだったかなと思い、ググってみる。

だいぶ前に無償期間が終わってた。

但し、グーグル先生曰く、
できる方法もあるよとのこと。

じゃあ、お古のパソコンで試しにやるか。

できた、マジかっ!

6時間くらいかかったけど、
意外とスンナリ。

そして起動してみる。

ええっ!

早いっ!

起動がめちゃくちゃ早いやん!

早速、起動速度の計測。

21秒!ゲッ!!

ハードディスクやのに?

じゃあ、Windows10の無償アップグレード期間に
アップグレードしてたら良かったんちゃうん。

ガックリonz

だいぶ前、

強制的にWindows10に無償アップグレードさせるなんて、
大企業マイクロソフト社の戦略に引っかからないぞ!
って、なんの根拠も無く、米大企業だというだけで
マイクロソフト社を批判しつつ、
頑なにWindows7を使ってた。

マイクロソフト批判するんやったら、Windows7も使うなよ、
アップル使えよっ、て当時の自分に言いたい。

しかも大企業を批判するくせに、フェイスブック使ってるし、
アマゾンはプライム会員やし、検索はグーグル使うし、
あっ、スマホはASUS(台湾)。

スマホまでiPhoneやったらGAFA完全網羅状態。

結局、とっととWindows10にアップグレードしときゃ
良かったという後悔と、
おかげで新しいパソコン買えてウキウキと。

ウキウキでブログ書いてる自分と。

ブログ、フェイスブック、インスタグラム、ツイッターのポジション

ブログ、フェイスブック、インスタグラム、ツイッターを正直、どのように活用したらいいか分かりません。

 

しかもフェイスブックは個人アカウントとタカヤススタイルの2つアカウントがあるのでさらに悩む。

 

これらのSNSを今までは、本当に適当に使っていました。

面倒臭くて、インスタとフェイスブックを同期させて、さらにその内容をブログに貼り付るという横着さ。

終いにはいっその事、全部止めてしまおうかと思うほど。

 

タカヤススタイルとしてのネタも無くなってきたし、止めても正直良かったんだけど、前回のブログで宣言した通り2020年はブログを活用しようと一念発起したもので、SNSも継続してやろうかと思っております。

 

そこで自分の中でルールを作って棲み分けして、この場合はコレっていう風にして流れを作ってみようかと考えています。

 

まず軸となるのはやはりブログ。

ブログに重点を置く。

SNSはそのサブで、ブログに誘導するためのツールとして考える。

 

ブログを書いたらフェイスブックに内容の一部を書いて誘導するリンクを張りましょう。

フェイスブックの個人はその記事をシェアするのみ。

同じくツイッターにも内容の一部とリンクをアップする。

 

写真メインのインスタは、やっぱり写真主体のブログを書いたときに使おう。

そしてフェイスブックと同期させる。

 

それとは別に、個人的な自慢やリア充ぶりの発揮は、インスタかフェイスブックの個人アカウント。

ブログに書くほどでもない時もインスタやフェイスブックの個人を使う。

それとツイッターはたくさんツイートする方が良さそうなので、すべてのネタを軽めに素早くツイートすることにします。

 

例えばこのブログの場合だと、ブログをアップ後、フェイスブックとツイッターで軽く宣伝、フェイスブックの個人でシェア、という感じ。

2020年はこの流れでしばらくやってみよう!

基本中の基本、ブログの活用

2020年が始まりました。

2020年は文章力を身につけたいと思っています。

今までのブログは写真主体で構成しており、文章はおまけ程度になっていましたが、
やはり言葉で何かを伝える技術に以前より憧れを抱いているので、ブログを書く
という行為の中で文章力を磨いていきたいと思う2020年です。

と同時に、タカヤススタイルでの活動が写真に撮って映えるものから、普段の生活を
淡々と続ける地味なものに変わりつつあるので、ブログに書くネタが無くなったという
大問題を抱えてしまったという部分もあります。

(とういかそれが本当の理由、文章力云々よりも!)

いずれにしても、昨年春に家族会議で決定した「カフェは開業しない」以降、いろいろと
考えた模索の昨年後半でしたが、今年は昨年のスタート時と同様にまた原点に戻って、
自給自足や持続可能性の追求、古民家再生をやりつつ、新たな活動も始めていきたいと
思います。

2019年1月19日ブログ
「リセット&リスタート」
http://takayasu-style.com/2019/01/19/2019011901/

そしてその新たな活動が始まりましたら、また写真をたくさん載せたものもブログに
登場させます。

その間は、僕が普段考えていることや、思っていることを文章で表現するように、
まさに基本中の基本で公開する日記・備忘録としてブログを活用していこうと思います。

今年もどうぞよろしくお願いします。

タカヤススタイル
町田弘

決心のきっかけは

自給自足をしようと思い、仕事を辞めて郡川に移ってきて約3年。
それでも現金収入が必要だと考え、カフェを自営することを計画してきました。
しかも自分の畑で採れた野菜を使ったランチを提供するということを目標にして。
しかしここに至り、自宅をカフェにすることがプライバシーを著しく侵害する行為だという意見が家族間で出ており、結果的にカフェをオープンしないことにしました。
自分のカフェをオープンするにあたり、集客のための広告や宣伝目的で、イベントやマーケットを開催し、戦略的にカフェへの誘導をしてきたものが、一瞬でパーになっちゃった。トホホ・・・。
こちらに来てずっと、カフェをオープンするということを公言してきたので、みなさんに期待してもらったり応援してもらったり、それを裏切る形になってしまったので、本当にすみませんという気持ちで一杯です。
ただそんな気持ちとは裏腹に、自分の決断が3年以上の計画や努力に執着せずに、辞めても良いと思えたことに清々しさを感じます。
そしてカフェを営む人生を設定していたものが白紙となり、代わりにカフェをしない場合の人生の可能性が急浮上してきたことに、ワクワクしています。
さて、現金収入の手段としてどんなことをして生きていくことになるのか。
ただし、タカヤススタイルとしてのライフスタイルは変化することはありません。
・自然栽培野菜の生産
・循環型生活
・持続可能性の追求
は、今もこれからも、この地で実践していきます。

 

生きるとは選択肢
たった一つを選ぶこと
決心は自分から
思ったそのまま
生きよう

リセット&リスタート

ホント、スッキリした。新年早々、気持ち良い

年頭より頭の中で「リセット&リスタート」というキーワードがぐるぐる回ってた。

この家に住んで早や2年、いろいろとやってきたけど、この辺で一度リセット。

そして原点に戻り、もう一度リスタート。

 

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「空き家コンテスト」結果は?

八尾市まちなみセンターにて、空き家コンテストが開催されました。

一次審査に合格しプレゼンテーター5名の内に選ばれ、5番目の発表となりました。

発表した内容を中心に、空き家コンテストのレポートをします。

 

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