僕らは何のために生まれたのか?

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誰しも一度や二度、

こういう事を考えた事はありませんか?

「僕らは何のために生まれたのか?」

 

今朝ふと、

そう思ったので、

ブログにしてみました。

僕にとっては良くあること、

だけど最近は考えなくなっていた事。

 

毎日毎日、

仕事仕事、

生きるに余裕なく過ごしていた、

サラリーマン時代、

毎日のように考えていた事でもあります。

 

答えは出たのか?

いや出なかったよ…

だけど、

今のライフスタイルに行きついた。

 

ここ最近、

頼まれるがままに、

植木屋さんの知人のお手伝いを

連日していたので、

今朝ふと思ったのかもしれません。

 

この毎日の暑さのなかで、

頭がボーっとしていて、

「俺、何してんだろう?」

って急に不安になった気分でした。

 

今朝は、

「そうだそうだ、

いつでも止めれる、

いつでも自由、

そうやって生きている」

って思い直したので、

深く考えもしませんでしたが。

 

サラリーマンの時代、

何のために生きているのか?

とか、

人生の意味は?

とか、

そういったものの答えを

いつも探していたのに、

毎日やっていることといえば、

仕事仕事仕事…。

 

じゃあ、

仕事するために生きているのかって、

自問すればもちろん、

否定しかない。

仕事をしていれば見つかるかというと、

そうでもない。

仕事のための人生なんて当然つまらない。

 

仕事をするのは、

生きていくため。

じゃあ、

その生きるには目的があるのか?

僕の人生とは何のためにあるんだろうか?

と、

また問いかけに逆戻り。

 

自分で答えを出せないものだから、

他力本願、

本を読んだり、

他人の話しを聞いたり。

 

それぞれ、

いろんな人や、

団体や組織や、

なんだかんだ、

それなりに答えを用意している。

だけど、

どれもしっくりこない。

 

「これが答えだ!」

と、

人類共通の答えを、

しっかり用意してくれているものの、

天邪鬼な僕は、

どれもが気にいらない。

 

きっと、

人類が共通しているのは、

答えのほうではなくて、

問いかけのほうだと思う。

 

だから、

答えは人の数ほど、

あってしかるべきだと思うし、

一人で何個も、

考えたその都度、

違った答えを出していいと思う。

 

答えは、

自分以外の他人から与えられるものではなく、

自分で考えて出すものだと思う。

 

人類に共通する真理なんて、

そうあるものでもないし、

それが真理だって、

立証しようもないのだから。

 

そして僕は、

自分で考えた答えを出して、

また、

問いかける。

答えを出して、

また問いかける。

この繰り返しを、

死ぬまで繰り返す。

 

何個答えがあったっていい。

その繰り返しの動作こそが、

真理に近づける手段と思うから。

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