良いエゴ、悪いエゴ

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5年ほど前、

僕は社会から逃げた。

正確に言うと、

当時勤めていた会社での、

人間関係が嫌になり、

それが原因で、

今までの在り方を続ける事を

拒否した。

 

誰かが誰かを傷つける、

お互いに傷つけ合う社会、

そこにもう戻る気力が、

無くなってしまった。

 

だから、

会社を辞め、

マンションを売却し、

古民家を再生して住み、

畑を耕し、

自給自足を目指した。

 

目指す世界は、

誰にも頼らず、

干渉されず、

自力で生きられるライフスタイル。

 

今はまだまだ、

長い旅路のスタート付近。

そして社会から、

逃げて逃げて逃げた先には、

エゴがありました。

 

社会の一員だったころ、

エゴは悪者。

エゴを力づくで押さえつけて、

目指すはエゴの完全なる消去。

だからいつも自分は置いてけぼりで。

優先するのは、

他人の幸福。

 

人と仲良くしましょう、

和をもって貴しとなす、

協調性が大切ですよ、

利他の精神で、

嫌な奴がいるのは修業が足りないからだ、

云々。

 

もうたくさんだ!

実際はそこから逃げた。

そして取り戻した。

自分というエゴを。

そして気づいた。

エゴの丸出しには先があるってことを。

 

エゴの先にあるもの。

それは、

良い効果

と、

悪い効果。

 

良い悪いの基準は、

誰かを何かを傷つけないか、

誰かが何かが喜んでいるか、

ってこと。

 

ある時、

お風呂やストーブに使う薪を割っていました。

その薪は高安山で伐採された木。

放置されるよりも使ったほうがいい木。

山の持ち主は薪として使うことに喜んでくれていました。

 

そして薪を割ると、

中から木の中に寄生している幼虫がたくさん出てきました。

気持ちが悪いので、

たくさんの幼虫はまとめて庭の隅に捨てました。

 

捨てられた幼虫が、

庭の木に寄生して木を食い荒らし、

成虫になって出てきたら困るなって思っていたら、

どこからともなく小鳥が現れ、

大量の幼虫を食べつくしました。

 

小鳥からすれば、

滅多にありつけないご馳走だったに違いありません。

だって人間が木を割らなければ出てこない虫だからです。

きっと小鳥は喜んでいたでしょう。

その証拠にそれ以来、

毎日我が家の庭を訪れていたから。

 

僕は決して、

山の持ち主の木の管理を手伝いたかったわけでもなく、

小鳥に餌をあげたかったわけでもありません。

ただただ、

自分がお風呂に入りたかっただけ、

ストーブを焚いて温まりたかっただけ。

 

薪を作る最大で唯一の理由は、

自己利益。

 

その結果、

山の持ち主や小鳥が喜んでくれた。

喜ばそうなんて思ってもいない、

その外側で喜んでくれた。

 

僕は薪が手に入った時点で喜んだ。

だけどその影響で、

誰かが何かが喜んだことを知った僕は、

また喜んだ。

 

だから、

エゴは丸出しでもいいんだって思った。

ただし、

丸出しの後の効果を観察する必要があるって思った。

 

誰かが何かが、

悲しんだり、

苦しんだり、

傷ついたり、

そういう場合のエゴは、

すぐにでも引っ込めるべきだと思う。

よくよく観察して、

その効果を見極める必要がある。

 

そう考えると、

家も畑もしかり、

僕は働きたくなかったから、

タダで住める家が欲しかったし、

タダで耕作できる畑が欲しかった。

 

だけど、

家主や畑の持ち主は、

自分の資産が放置されることなく、

現役で使われ管理されることに喜んでいる。

 

人だけでなく、

使われている家は、

耕される畑は、

そのもの自体も喜んでいる。

に違いない。

 

エゴ丸出しの僕が、

エゴの効果で、

誰かを何かを喜ばせている。

その状況にまたエゴが喜んでいる。

 

誰かを喜ばせることを止めた途端、

自分だけを喜ばせることに集中した結果、

他の誰かが喜びだした。

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