2020年 7月 の投稿一覧

大人と子供

サラリーマン時代、

よく上司から、

”大人になれよ”

って諭されました。

アラサーのおっさんが、

40代くらいの上司に、

そう諭されていたわけです。

 

この場合の”大人”は、

20歳を超えた成人という意味ではなく、

内面の事を指すかと思われます。

年齢ではないということ。

 

例えば、

実際に体験した事例でいうと、

通常業務よりも過酷な仕事を

責任者として担当したことがありました。

 

その業務は、

事前に過酷な業務であると分かっており、

担当者の僕とチームのメンバーだけは、

過酷だと知らない状況にありました。

つまり経営サイドと営業サイドは、

事前に知っていたが、

現場サイドの我々には意図的に知らされて

いなかった業務でした。

 

なんとか業務をこなして完結したのち、

実は事前に過酷だと分かっていたと耳にした僕は、

上司に詰め寄りました。

 

「なぜ過酷な業務だと教えてくれなかったのか?

なぜ適切な対応で支援してくれなかったのか?

予め過酷だと分かっていたら出来る準備があったのに。」

と。

 

そうとう頭にきていた僕は、

当時の上司にそう喰ってかかりました。

それは僕だけではなく、

同じ業務を担当したチーム全員の、

苦労や思いも乗せてのことでした。

 

その時の上司の反応として、

「お前の言う事も分かるが、

会社の状況としては、

支援できる余裕など無かった。

事前に過酷だと伝えると、

担当するのを嫌がると思うし、

伝えにくい心情的な面もある。

だがお前の事を信頼しているからこそ、

過酷な業務も任せられると思っている。

それなのに反発があるなんて、

思いもよらなかった。

もう少し大人になってくれ。」

でした。

 

その上司の言葉、

端的に解釈すると、

「自分の都合より、

会社の都合を考えて、

黙って仕事しろ!」

にしか聞こえませんでした。

 

正直、

”会社の状況を考慮しろ”

とか、

”伝えにくい”は、

会社側の努力不足。

余裕の無い会社の状況の責任は、

僕には無いし、

コミュニケーション不足なのは、

上司の怠慢。

 

”お前を信頼してたのに”、

なんて言葉は、

部下の能力を考慮して、

適切に仕事の配分を吟味せずに、

仕事を丸投げしておいて、

失敗した場合の責任を擦り付ける、

最低の言葉。

 

上司の判断ミスでしかないのに、

”ガッカリ”したとか言われるわけです。

期待など最初からしていないくせに、

面倒くさいから任せっきりにしておいて、

挙句の果てに、

うまくいかないと、

”失望した”なんて言ったりします。

そう言って信頼を裏切られたフリをして、

被害者ぶるわけです。

 

で、

最後にトドメの一言が、

「大人になれ!」

なのです。

 

非常に抽象的な話しで申し訳ないですが、

こういう事が多々あり、

大体は不満をかかえて、

飲み会とかで愚痴ってみたりするだけですが、

たまに正面切ってぶつかると、

こうなってしまいます。

 

最初でも言ったとおり、

”大人”とは内面の事を指していると思われます。

 

が、

その内面の内容に関して言えば、

「力関係の上位にある者の言う事は絶対だと覚る」

とか、

「抵抗しても力の及ばない存在があると認識する」

とか、

「長いものに巻かれる事を良しとする」

とか、

「自分が何かを欲望する真の理由をひた隠しにして、

心にもない美辞麗句を並べ立てて自分を飾り立てる」

とか、

まだまだあるけど書ききれません。

 

反対に”子供”は、

そういったことまで考えが及ばず、

思ったことそのままストレートに、

口にしたり行動したりします。

そういう子供の行動を、

大人は嘲笑の対象とし、

そうすることを恥じとするわけです。

 

子供が成長して大人になるにつれて、

内面がそのように変化したとするなら、

それを成長したと喜んでいいものかどうか、

未だに疑問を感じている、

45歳の僕の内面は、

おおよそ3歳くらいです。

 
余談ですが、

とあるアイドルグループが、

「大人たちへの反逆」的な売り出し方で、

活動をしていました。

ところが、

実際に活動をコントロールしているのは、

概ね30代~50代くらいの人たち。

そこで、

”「大人たちへの反逆」を大人たちが演出する矛盾”、

なんて批判がチラホラ聞かれました。

 

さて、

その30代~50代の人たちは、

ずば抜けたセンスを持った作詞家、

世界的なダンサーだった振付師、

新進気鋭の作曲家、

斬新なアイデアの映像クリエーター、

才能あるカメラマン、メイク、衣装などなど、

各業界の過去のしがらみや常識など、

積み上げられたものを打ち壊して、

新しい何かを作り上げてきたからこそ、

現在のポジションにいる人たち。

そしてその人たちが、

さらに新しい何かを作ろうと挑戦している。

 

確かに、

10代の若いアイドルたちは、

指示されたとおりに動いているだけかもしれない。

が、

指示する側のクリエーターたちこそが、

「大人たちへの反逆」を作品を通して表現している、

としたらどうだろう。

 

なぜそのような事が可能なのか、

クリエーターである30代~50代の人たちは、

子供のままであるから。

良いエゴ、悪いエゴ

5年ほど前、

僕は社会から逃げた。

正確に言うと、

当時勤めていた会社での、

人間関係が嫌になり、

それが原因で、

今までの在り方を続ける事を

拒否した。

 

誰かが誰かを傷つける、

お互いに傷つけ合う社会、

そこにもう戻る気力が、

無くなってしまった。

 

だから、

会社を辞め、

マンションを売却し、

古民家を再生して住み、

畑を耕し、

自給自足を目指した。

 

目指す世界は、

誰にも頼らず、

干渉されず、

自力で生きられるライフスタイル。

 

今はまだまだ、

長い旅路のスタート付近。

そして社会から、

逃げて逃げて逃げた先には、

エゴがありました。

 

社会の一員だったころ、

エゴは悪者。

エゴを力づくで押さえつけて、

目指すはエゴの完全なる消去。

だからいつも自分は置いてけぼりで。

優先するのは、

他人の幸福。

 

人と仲良くしましょう、

和をもって貴しとなす、

協調性が大切ですよ、

利他の精神で、

嫌な奴がいるのは修業が足りないからだ、

云々。

 

もうたくさんだ!

実際はそこから逃げた。

そして取り戻した。

自分というエゴを。

そして気づいた。

エゴの丸出しには先があるってことを。

 

エゴの先にあるもの。

それは、

良い効果

と、

悪い効果。

 

良い悪いの基準は、

誰かを何かを傷つけないか、

誰かが何かが喜んでいるか、

ってこと。

 

ある時、

お風呂やストーブに使う薪を割っていました。

その薪は高安山で伐採された木。

放置されるよりも使ったほうがいい木。

山の持ち主は薪として使うことに喜んでくれていました。

 

そして薪を割ると、

中から木の中に寄生している幼虫がたくさん出てきました。

気持ちが悪いので、

たくさんの幼虫はまとめて庭の隅に捨てました。

 

捨てられた幼虫が、

庭の木に寄生して木を食い荒らし、

成虫になって出てきたら困るなって思っていたら、

どこからともなく小鳥が現れ、

大量の幼虫を食べつくしました。

 

小鳥からすれば、

滅多にありつけないご馳走だったに違いありません。

だって人間が木を割らなければ出てこない虫だからです。

きっと小鳥は喜んでいたでしょう。

その証拠にそれ以来、

毎日我が家の庭を訪れていたから。

 

僕は決して、

山の持ち主の木の管理を手伝いたかったわけでもなく、

小鳥に餌をあげたかったわけでもありません。

ただただ、

自分がお風呂に入りたかっただけ、

ストーブを焚いて温まりたかっただけ。

 

薪を作る最大で唯一の理由は、

自己利益。

 

その結果、

山の持ち主や小鳥が喜んでくれた。

喜ばそうなんて思ってもいない、

その外側で喜んでくれた。

 

僕は薪が手に入った時点で喜んだ。

だけどその影響で、

誰かが何かが喜んだことを知った僕は、

また喜んだ。

 

だから、

エゴは丸出しでもいいんだって思った。

ただし、

丸出しの後の効果を観察する必要があるって思った。

 

誰かが何かが、

悲しんだり、

苦しんだり、

傷ついたり、

そういう場合のエゴは、

すぐにでも引っ込めるべきだと思う。

よくよく観察して、

その効果を見極める必要がある。

 

そう考えると、

家も畑もしかり、

僕は働きたくなかったから、

タダで住める家が欲しかったし、

タダで耕作できる畑が欲しかった。

 

だけど、

家主や畑の持ち主は、

自分の資産が放置されることなく、

現役で使われ管理されることに喜んでいる。

 

人だけでなく、

使われている家は、

耕される畑は、

そのもの自体も喜んでいる。

に違いない。

 

エゴ丸出しの僕が、

エゴの効果で、

誰かを何かを喜ばせている。

その状況にまたエゴが喜んでいる。

 

誰かを喜ばせることを止めた途端、

自分だけを喜ばせることに集中した結果、

他の誰かが喜びだした。

自分さえ良ければ

 

文章書くの久しぶり~。

 

先日、

”Go To トラベル”キャンペーン?

がスタートしたので早速、

関東方面の温泉旅行を計画しました。

せっかく関東方面に行くので、

ついでに東京は町田市にある、

「武相荘」(白洲次郎邸)

という観光地へ行こうと思い、

東京都町田市のホテルを予約しました。

 

ところが最近、

”東京都は除外”

というニュースを見てガッカリし、

さらには、

東京のホテルのキャンセルが相次いでいる

というニュースを見て、

ホテルや旅館やお土産屋さん等など、

観光にまつわる職種の方々は、

本当に苦労をしているだろうなと思いました。

 

感染を拡大させないという思いと、

経済活動の停滞という不安と、

それぞれの思惑が交錯しているのでしょう。

誰かが誰かを傷つけ合う、

そんな社会がまだまだ続くようですね。

しかも、

キャンペーン自体にも賛否両論らしいですね。

 

僕は特に、

思想や政治、

信条的にこだわりが無いので、

自分が得をする事には飛びつき、

そうでない場合はスルーです。

 

なので、

今回のキャンペーンは、

旅行好きの僕にとっては大チャンス!

海外にはまだ行けませんが、

だからこそ、

日本国内の行ってみたいとこ、

泊まってみたいホテルや旅館、

食べてみたいレストランでの食事など、

キャンペーン中は思いっきり、

楽しもうと思っています。

 

そうすることで、

頂いた給付金や、

貯めている貯金を使って、

国内経済への還元や支援が出来るという、

副次的な効果もあるのでいいかと思ってます。

 

逆に、

感染拡大の一因となる可能性も否定は出来ませんが、

起きてもいない事にビクビクするような僕でなかったりします。

 

可能性があるというだけで、

何もかもを自粛するなら、

失敗の可能性のあることは全て、

チャレンジしなければいいのに。

 

人間としてのダイナミックな人生を生きることよりも、

おうちの中の平穏のみの人生を生きればいいのに。

 

何かを恐れて生きる人生なら、

死という現実に恐れおののき、

不安な一生を過ごせばいいのに。

 

禍福は糾える縄の如し

波風ある人生だとわかっているのだから、

生きることそのものを放棄することをお勧めします。

きっと安穏な人生となるでしょうね。

ニルバーナですね。

 

ただ、

キャンペーン除外になった東京のホテルは、

おそらくキャンセルにして、

隣りの神奈川県のホテルを予約し直すでしょうね。

東京のホテルの方には申し訳ないとは思いますが、

思っているだけで、

わざわざ正規料金を払ってまで泊まるつもりはないです。

 

基本的にはこういう考え方をしているので、

自己中心というか、

自分さえ良ければそれでいいというか、

そういう下劣な奴です。

 

だから、

世間や社会がどうであれ、

自分的に得な事、

メリット有る事には関心があるし、

それ以外は常に無関心だったり。

 

その根本には、

世の中がどうなろうが、

良くなろうが、

悪くなろうが、

自分の生活は、

自分が目指すライフスタイルは、

自分の心の自由は、

変化がありません。

 

そして、

そのライフスタイルや自由は、

自ら決めたことで、

誰からも押し付けられず、

誰の意見にも左右されず、

誰からも評価されず、

ただただ自己満足でしかありません。

 

しかし、

ただ自分だけは満足しています。

そして社会の変化に合わせて出てくる、

お得な情報にちょこっと乗ってます。

 

ちなみに、

今回のコロコロ騒動にまつわる、

様々な環境の変化や、

政府の政策等などを、

総合的に考えて、

僕的にメリットが多いです。

 

きっと、

デメリットの多い方もいると思います。

が、

そこにはいちいち思いを馳せません。

自分さえ良ければいいので。

 

苦しんでる方を助けたいとか、

社会が少しでも良い方向へ向かうようにとか、

そういう気持ちは皆無です。

まずは自分なのです。

その自分の在り方の責任も自分だからです。

 

ただ思うのですが、

地球上の全員が、

自分さえ良いと思える状態になったら、

自分だけが良い状態なったと各々、

全世界の人々が思ったら、

一人ひとりがそれぞれ独自にハッピーなら、

それでいいんじゃないですか?

 

誰かを傷つける事無く、

自分だけが幸せだと思える状態は

実現可能だと思います。

 

そんなエゴの塊みたいな僕ですが、

エゴにも、

良いエゴと、

悪いエゴがあると思ってます。

次のブログでは、

その違いに関して書こうと思います。