2020年 2月 の投稿一覧

英会話こそ習うより慣れよ!

 

昨年の8月から英会話教室に通っています。

もともと英語は大の苦手。

でもハワイが大好き。

 

こんな農的ライフスタイルを実践してるくせに、

年に一回はハワイに行くと決めていたりする。

だから英語を使って話す機会って、

最低でも年イチでやってくるのね。

 

で、

去年まではボチボチ独学で勉強するも、

当然ながら著しい進歩は無し。

勉強はやっぱり苦手。

モチベーションが続かない。

 

旅行先では片言の単語連発と、

ボディーランゲージも交えたトークで、

無理やり会話を押し切ってきた。

わかっているようで、

わかってない会話。

 

でもショッピングやレストランでは、

実際なんとかなってきた。

最近はイリーやポケトークなんかもあるし、

Google翻訳なんかのアプリもあるから、

現状でもうまく操作すれば対応可能だし、

近い将来はきっと同時通訳アプリが開発されて、

全世界でストレスなく日本語で会話できると思ってる。

 

だけど、

やっぱり自分の言葉でしっかりしゃべりたいし、

ダイレクトに相手の言葉を理解したい。

だから英会話教室に興味あるな、

ちょっと通ってみたいな、

って結構前から思ってた。

 

そう思いつつも昨年の8月まで、

英会話教室に行かなかったのは、

周りの声を聞いていたから。

特に英語をそれなりに話せる人の声を聞いていた。

 

「英会話なんてお金を使わずに勉強できるよ。」

とか、

「NHKのラジオ講座がいいよ。」

とか、

「その辺歩いてる外人に話しかけたらいい。」

などなど。

 

それらについてはイメージが出来なかったし、

全然モチベーションが上がらなかった。

 

なによりも、

「興味あるな、通ってみたいな」っていう

肝心の自分の声を聞けてなかった。

英会話教室でネイティブと話している自分、

そのイメージにはワクワクしていた。

そこに気づいた!

 

お金や時間や勉強法の問題ではない。

ワクワクに素直になろうと。

で、やってみた。

 

場所は難波。

1レッスン50分。

生徒2人に対してネイティブの先生1人。

価格は1レッスンおよそ3,300円くらいかな。

 

レッスン内容はほとんどが雑談(笑)

レッスンが始まってから、

30分くらいはマジで雑談に費やしてる。

 

が、

それがめちゃくちゃ楽しい。

もちろん日本語はほぼ無し。

レッスン自体は結構簡単な内容のものが多いし、

先生ももちろん優しく丁寧。

ビギナークラスなので会話に慣れる事がメインなのかな。

 

ところがレッスンを受けるにつれて違和感を感じてきた。

その違和感とは、

一緒にレッスンを受ける相方の生徒さんに感じる違和感。

ほとんどが真面目でおとなしいのです。

 

会話を楽しみに来ていない!

マジで勉強しに来てる!

もうスタンスが全然違うやん。

ひとりで先生とバカ話している自分が恥ずかしい。

 

ただ、

もちろん皆さん優秀で、

先生からの質問にもしっかり答えられるのだけど、

自分から先生に対しての質問とか、

話題の提供とかが、

全然無い人が多い。

 

あるいは、

会話のキャッチボールが全然続いていない。

素っ気ない受け答えのように聞こえてしまう。

 

なるほど、

よく言われる、

「文法的に合っている文章を使おうと考え過ぎて、

結局声に出せないままに終わってしまう」

ってやつね。

 

文法的な正しさが決して悪いわけではないが、

50分という制限の中で、

ネイティブと会話をするという点に関しては、

非常に不利になってしまう。

 

逆に、

知っている単語を文法関係なしに発言すると、

当然間違いを指摘はされるが、

会話としては成立してたりする。

レッスンで先生とよく会話ができるのは、

文法を無視してもズケズケとイケるタイプ。

 

間違うことを恥ずかしがったり、

間違った自分を責めたりすると、

発言に臆病になってしまう。

 

だから何だってわけじゃないけど、

でもたぶん、

ネイティブとの会話を経験すればするほど、

修正もできるし、

フレーズのパターンもつかめるし、

文法的にも整理されるから、

英会話を会話として成立させるには、

「慣れ」が近道なんじゃないかと、

発言ができない姿を間近で見て、

非常に強く思いました。

 

だって、

TOIECや英検の点数よりも、

英語を使って会話をすることが、

目的だから。

 

自分自身にとって英会話レッスンは、

「習うより慣れよ」、

「慣れたら勉強しろ!」

かな。

人それぞれなんだろうけどね。

世界最古だ、建国2,680年

 

若い頃はこんな事、まったく興味無かったな。

祝日だったら、休めたら、なんでも良かった。

今日2月11日は、そんな日、建国記念の日。

もともとの名前は、紀元祭。

戦争に負けたので、おGHQ様が改名されました。

ちなみに建国してから今年で2,680年です。

国の成立は紀元前660年。

カムヤマトイワレビコノミコト(後の神武天皇)が橿原の地で

即位した日が2月11日とされています。

これは現存する王朝では、世界一古いのです。

しかも釈迦の生誕よりも古い!

まさか卑弥呼や聖徳太子が建国しただなんて思ってないですよね?

そうだったとしても、やはり世界最古であることは間違いない。

第2位はデンマーク。

建国から約1,000年くらいらしい。

第3位はイギリス。

建国から約950年くらい。

圧倒的に古い、というか歴史がある日本。

世界中にめっちゃ自慢できるやん!って思うけど、

最近までは実は知らんかった。

しかも誰も自慢してないし。

それもそのはず。

僕が学生の頃の日本史の授業では、

建国について学ぶ事がなかったからです。

さらには国旗掲揚も、国歌斉唱も、教師たちの反発で、

異様なムードを醸し出していました。

なぜそういう状況なのか、学生の僕には理解できなかった。

 

しかしながら、世界的に見れば、常識的に考えれば、

自国に対しての愛着や尊厳を植え付けない教育など、

あり得ないと思うのですが、日本はそうじゃないようです。

あたかも、自分の育った土地や環境や歴史を否定し、

将来的に国を捨て、バラバラになってしまうのを計画してる

かのような雰囲気。

 

郷土愛という言葉がありますが、自分が育った地域の事は

住めば都で、他府県よりもいい土地柄だと皆さん自慢して

いますよね?

だけど国単位になると、なぜかそれはタブー。

なぜなのか?

そのヒントが、紀元祭が建国記念の日と改名されたあたりに

ありそうな予感。

突っ込んだ事を書いてしまうと、なにかと問題ありそうなので、

匂わせブログでおしまい。

橿原神宮で食べた弁当は美味かったしな。

現実的には、今こうして、平和に幸せに豊かに暮らせているので、

ご先祖様たちに感謝して、建国を祝ってもいいんではないでしょうか。

初めてのコイン精米機

昨年、松下ファームさんでお米作りのお手伝いをさせて頂き、

お手伝いの報酬としてのお米を一年分、本日受け取りました。

お米の量は、30KGの袋が6つ分。

なんと180KGもの量を頂きました。

 

夫婦二人で180KG、絶対食えないね。

だけど貰えるだけ貰うというガメツさ。

我が家へ配送してもらう途中に、松下さんに寄り道をお願いをして、

30KG分を精米することにしました。

人生初のコイン精米機。

「誰があの自動販売システムを使うんだろう」って思ってた、

あの街角の小屋に、まさか自分がお客として利用する日が

来るなんて思ってもみなかった。

そこでおそらく、農業関係者以外の人はあまり経験がないと

思うので、利用した状況をリポート。

まず値段。

10KG精米するのに100円。

今回は30KGなので300円。

使えるのは100円玉オンリー。

1,000円札や500円玉はダメ。

ご丁寧に、同じ敷地内に缶コーヒーの自販機が設置してあり、

100円のコーヒー2本買って、残り300円を精米機に使用。

その辺、商売上手。

そして料金を投入し、精米の種類を選ぶ。

普通の精米か、3分、5分、7分付きかを選べる。

選ぶと右側のシャッターが自動で開き、玄米を入れ込む投入口が

現れるので、そこに精米する玄米を入れる。

しばらくすると、左側の放出口から精米されたお米が、シャワーの如く

放出され、受け取る漏斗状の装置に溜まる。

装置の下にはあらかじめ、玄米を持参してきて投入が終わった袋を、

再利用の為に設置しておく。

漏斗状の装置にある程度お米が溜まってきたら、機械下部分にある、

ペダルを踏みこみ、袋へお米を入れる。

このペダルを踏みこむ作業を繰り返し、30KGすべてを袋に入れて完了。

玄米から白米に精米する際に、糠が取れるので、30KGで持ち込んだ玄米は、

約27KGになって出てくるそうです。

取られた糠は、小屋の裏にある、また小さな小屋に溜められているようですが、

小屋のドアに鍵がかかっているため、糠を頂くことはできませんでした。

ざっとこんな感じ。

やってみると、簡単で10分もいなかったと思いますが、言葉にすると長い。

これからの人生、何度もコイン精米機に、お世話になるような予感。

田んぼを自前で持つことはなかなか難しいですが、誰かの田んぼを手伝って、

お米を頂いて自分が食べる分を賄うことが出来たら、なんちゃって自給自足

かなって思います。

初めての煙突掃除

我が家のお風呂は、薪で焚いています。

最近、お風呂を焚いていると部屋が煙たくなるので、

そろそろ煙突が詰まってるよな、って確かに思ってはいた。

だけど煙突掃除が面倒くさくて見て見ぬフリしてたら、

部屋中が煤だらけになってしまって。

で、やっぱり嫁に叱られ、とうとう掃除する事になりました。

最初に煙突の継ぎ目にある、L字型のパーツの蓋を開けたのですが、

開けた途端、バサーッって、ビックリするくらい煤が落ちてきた。

そして自作の掃除道具で煙突の中をこする度に、ピンポン玉大の

煤がフワフワって落ちてくるじゃないですか。

生きてるみたいに。

リアル「まっくろくろすけ」かよっ!

さすがに3年も掃除してなかったら、こんだけ溜まるんやなって

実感しました。

しかも急に掃除する事になったんで、掃除道具が棒に雑巾を

巻きつけただけの自作道具という荒業。

さらにカーブのところは棒では入らないので、短く切って、紐で繋げて、

という加工で対応してみた。

紐が煙突の中で、切れてしまった状況を想像したら、

ゾっとするので、さすがに煙突掃除のワイヤーブラシを

買おうと思いました。

「やりたいことをやれ!」は聞き飽きた

「今を生きる」と同じくらい、

あるいはそれ以上によく聞く言葉、

「やりたいことをやれ!」は、

もう聞き飽きました。

 

この言葉、

やりたいことが明確にある方で、

既にやりたいことをやってる方には、

必要がない言葉です。

 

が、

やりたいことは明確にあるのだけど、

なんらかの事情でできない方。

に対して背中を押す意味で、

「やりたいことをやれ!」は、

非常に有効だと思います。

 

ただし、

背中を押すだけ押して、

失敗した時の責任を、

取る訳ではないので、

無責任にもなりますが。

 

そして悲しいことに、

やりたいことが何なのかわからない方が、

実は意外と多いというこの社会。

 

この人たちに、

「やりたいことをやれ!」と言っても、

なかなか届きません。

だって、

やりたいことが無いのだから。

 

「やりたいことをやれ!」という、

メッセージを発信する方は、

大体が、

うまくいった、

成功した、

って人たちです。

 

この人たちは元々、

やりたいことが明確にあって、

それを勇気を出して実行したから、

うまくいったという経験を持ち、

その目線から発言しています。

 

逆に、

やりたいことが無い方が、

何もすることもなく漫然と生きて、

「何もするな!」

というメッセージは発信しません。

 

つまり、

メッセージとしての、

「やりたいことをやれ!」は、

一方的に飽和状態で、

そこから、

強迫観念じみたメッセージへと

変貌しつつあります。

 

やりたいことをやれない人間は、

臆病でダメで無気力な人間だ、

と言わんばかりの。

 

または、

そう言われない為にも、

他人のやりたいことに乗っかって、

「やりたいことをやっている」つもり、

になって満足していることもあります。

 

でも別にやりたいことなんて、

無くたって全然いいのです。

無くて当然。

無くても立派に生きられます。

無いからあるまでの幅は、

相当に広く、

十人十色といったところです。

 

ただ、

人間とは常に変化し続けるものです。

今は無くても、

今後はあるかもしれない。

 

そこで、

大切にしたほうがいいと思うことは、

「やりたいこと」ではなく、

「やってみたいこと」。

この2つの日本語は似ていますが、

ニュアンスは明らかに違います。

 

英語でいうと、

want to(やりたいこと)

try to(やってみたいこと)

です。

 

try to は、

思い付きでも何でもいいから、

やってみようかなと思ったことを、

すぐさま実行する。

興味が無くなったらすぐ止める。

のスタイルで充分。

 

このすぐ止める、

というところが肝心。

他人の目を気にして、

やり続けなくちゃならない

とか、

成功するまで諦めるな

とかは無視。

止めたら次、

止めたら次、

です。

 

これを繰り返す。

繰り返した結果、

ひょっとしたら try to から、

want to が見つかるかもしれません。

 

want to が見つかったら、

勇気を出して実行する、

か、

しないかは本人次第。

 

その繰り返しのプロセスを飛ばして、

試してみてもいない、

やってみても無いことが、

いきなり、

やりたいことになることなんて

無いでしょう。

有ったら天命です。

 

実際にやりたいことを実行している人も、

このプロセスを経てきているにも係わらず、

他人へのアドバイスになると、

「やりたいことをやれ!」です。

 

だから、

「やりたいことをやる」前段階として、

「やってみたいことをやる」

ことが必要となります。

 

ところが、

その「やってみたいこと」を

たくさん試せる若い時期に、

人々は就職をしてしまいます。

一旦社会人として働きだすと、

大幅に時間が奪われます。

さらに仕事以外のことをする

気力も奪われます。

 

この状態で、

「やってみたいこと」がある人は、

自分に言い訳をします。

「仕事をしながら出来る訳がない」と。

「それよりも休みたい」と。

 

そうやって、

「やってみたいこと」ですら、

ひとつひとつ、

自分自身で殺していきます。

 

結婚、

子供、

ローンなどなど、

言い訳なんて山ほどあります。

 

そうして、

「やりたいこと」の前段階である、

「やってみたいこと」が、

壊滅状態になってしまい、

「やりたいことは何なのかわからない」

という状況になってしまう。

 

そんな人たちに、

「やりたいことをやれ!」は、

無意味です。

 

だから、

「やりたいこと」よりも、

「やってみたいこと」、

に意識を傾け、

簡単なことから少しでも

実行できるように、

背中を押してあげるのです。

 

「どんな些細な事でも構わないから、

ちょっとした思い付きでもいいから、

興味を持ったことを少しずつ形にしませんか?

無理だったらすぐに止めていいから」

と。