過去や未来の消去がなぜ、”今を生きる”なのか?

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前回の、

「私には今しかないよ。

今を生きる女なんだよ。」

の続き。

私には今しかないよ。今を生きる女なんだよ。

 

「今を生きる」って言葉、

よく聞くけれども、

意味がなんとなくわかるようでわからない。

 

今を精一杯生きる

とか、

今を存分に楽しむ

ではなく、

「今に意識を戻せ」

を第一に言いたいんだと思う。

 

ただそれだけでは、

大きな変化は生まれない。

今に意識を戻すと同時に、

過去や未来を消去する。

過去を消去するとはどういう事か?

 

それは、

過去と今の接点を切る。

過去に行った判断をフラットに戻す。

 

過去に下した判断や結論は、

その時点のものであり、

現時点で適用できるかどうかを、

疑って再度考えてみる。

 

過去何度となく見てきたものを、

今の目で新たに見るということ。

その上で今の判断を下す。

子供の頃にトラウマとなった出来事を、

大人の今の目で見てみる、

なんかがそうですね。

 

例えば、

過去さんざんにイジメられた上司を、

現在の目で見てみる。

初めて会った人として見ると、

ただのおっさんな訳で、

良い人でも悪い人でもない、

ただのおっさん。

 

だけど、

ただのおっさんは、

過去の延長線上で当然接してくる。

そこでただのおっさんのイジメに対して、

フラットな対応をすることになる。

初対面のおっさんに、

いきなり意地悪されたら、

誰でも怒りと同時に、

反撃や抵抗を開始すると思う。

 

が、

過去の延長線上で応対をしてしまうと、

我慢することになる。

負の連鎖をどこかで切らなければ、

ずっとこのまま。

 

多くの人は、

現実はこんなに簡単じゃないと

勝手に思い込んでいるので、

我慢した挙句、

結局は会社を辞めて、

縁を切り、

イジメを終わらせる。

 

あるいは、

良い人か悪い人かのフラットな判断において、

それ相応の事が無ければ、

良い人と判断する可能性もあるかもしれない。

過去散々にイジメを受けてきたにも係わらず。

例えが悪くて焦点がボケてきた。

 

つまり、

何か物事を見るに当たって、

その瞬間の状態のみで、

判断を下すこと。

が、

今を生きること。

 

過去に下してきた判断に対して、

一貫性があろうと無かろうと、

今この瞬間に感じた事に、

重きを置くこと。

 

直観でも良いし、

論理的でも良い。

あり得ないが、

今この瞬間だけしか生きられないとしたら、

どんな判断を下し、

どう行動をするか?

 

未来においてもしかり。

将来的な不安や恐怖、

計算高い態度など。

この人とうまく付き合えれば、

将来なんらかのメリットが享受できるかも、

という姿勢は未来に生きている。

 

そういう場合、

今の瞬間のこの人に対して、

付き合いにくいと思っていたり、

うっとおしい奴だと思ってたりするのに、

だけど得な事もあるかもしれないと思い、

今を我慢する。

 

今やってみたいことがあるが、

多額の費用が必要だと漠然と思い込み、

老後の生活に不安を感じてしまい、

今を我慢する。

 

それは今を犠牲にしながら、

未来に生きている。

 

今を生きるとは、

この瞬間、

物事をフラットに見て判断すること。

それによって取る行動のこと。

 

決して、

表面的な楽しさや頑張りの事ではない。

自分の外側の充実ではなく、

自分の内側の判断の在り様のこと。

その上での行動のこと。

と思う。

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