5Gで人と人が繋がる!?

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5Gとは、

ファイブジェネレーションと読み、

第5世代移動通信システムの略。

 

超簡単に言えば、

インターネットが今までよりも、

格段に速くなり、

容量もバカでかくなるから、

おかげでよりたくさんの処理が可能。

 

ということは、

サービスというか、

出来る事の範囲がより一層、

広がる感じ。

よりクリエイティブに。

 

逆に懸念されてることとして、

強力な電磁波が人体に与える影響が大。

その辺り、詳しく調べている方がいると思うので、

興味があればGoogle先生に聞いてみて。

 

今回は5Gの話しがしたいわけではない。

5G以降の未来の話し。

というか、

人と人の繋がりの話し。

 

昨今、

人と人の繋がりが希薄になってると謂われています。

昔に比べると、

ご近所さんや、

親戚同士の付き合い、

なんかが簡素化されている感じで。

 

町内会に入らない、

若い世代の夫婦も多数。

隣の人の顔すら知らない、

とかも結構ある。

 

だから再び地域のコミュニティーを取り戻そう、

なんて活動もたくさん存在する。

大規模な災害が起こる度に、

「絆」って言葉が強調されたりする。

 

タカヤススタイル当初、

郡川という村に越してきた当初、

人と人の繋がり合い、

その辺にチャレンジしてみた。

だけどなぜかしっくりしない感じ。

 

ご近所付き合いや、

地域の繋がりの重要性を、

具体的な行動で、

実行したいと思っていたけど、

そして自分なりに実行してみたけど、

ずっと違和感を感じていた。

 

なぜなんだろう?

 

その疑問を解決するべく、

村の繋がりが希薄になっていった、

そのプロセスを考えてみた。

 

おそらく、

村の繋がりの機能としては、

戦後すぐまでは活きていたはず。

繋がりが徐々に崩壊し始めたのは、

高度成長期時代くらいか。

 

なぜなら、

人々が自立し始めたから。

自立するための仕事が都会にあったから。

お金があれば生活できる世の中に、

急速に変化していったから。

ここから社会は劇的に変化し始める。

 

それまでは、

自身の生活は村に依存していた。

一人では生きていけず、

お互いが協力しあって生きていた。

繋がりがあって初めて成り立った。

それが村というコミュニティ。

 

昔は大体が農家だったろうから、

田植えだとか、

水の田んぼへの引き込みだとか、

老人の扱いだとか、

子供の世話とか、

協力がなければ成り立たなかっただろう。

 

もちろん、

それを維持するために、

ルールがあったはず。

今でいう法律とかそんなんじゃなくて、

村の掟。

作法ともいう。

 

きっと、どの時代の若者たちも、

そんな掟や作法が嫌だったはず。

因習にまみれた老人たちの言葉は、

聞きたくなかったはず。

いつの時代も同じです。

 

だけどどの時代の若者たちも、

掟に抗えなかった。

掟破りは村八分。

それは生活が成り立たない事を意味するから。

 

ところが、

村八分になっても、

生活が成り立つ時代がやってきた。

それが若者たちがサラリーマン化していった最初の時代。

 

若者たちは村を去り、

金の卵ともてはやされ、

都会に住みだし、

同じ境遇の若者と繋がりだし、

自立の喜びを分かち合う。

今から60年ほど前のこと。

 

そこには村の掟なんか存在しない。

自分たちのルールを自分たちで作るんだ。

文句を言う老人たちはいない。

さぞかし刺激的だったでしょう。

 

それから60年、

世の中の労働者世代は、

ほとんどがサラリーマンとなり、

徐々に村は、

村としての役割を終えることになりました。

 

最初に村を飛び出した若者たちは、

村の繋がり、

人の繋がり、

そういった中から飛び出したので、

繋がりへの意識はあったでしょう。

 

だけど、

逆にその過度の繋がりが、

ウザいと感じてもいたでしょう。

繋がりは大事だけど、構わないでいてもほしい。

アンビバレント。

 

それから下の世代は、

強力な村の繋がり、

人の繋がり、

に対して具体的に意識できないので、

年々薄れていったのではないかと思います。

 

話しが長いので、

続きは次回にします。

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