
東京のド真ん中にある神社、明治神宮に行ってきました。
JR原宿駅を降りてすぐ、若者に大人気のファッションエリア表参道とは、この明治神宮の参道だったんですね。
さすがに日曜日の原宿は、人また人の混雑で大変な賑わいでした。
でも神宮内では日本人はチラホラ、主に海外からの人が多かったように思います。
「どうしても見たかった神宮の杜」
東京の数ある名所の中で、ここに来た理由。
それは森があるから。
しかもただの森じゃない。
この森は大正時代に人の手で作られた、人工の森なのです。
まずは明治神宮のご紹介。
明治神宮は、東京のド真ん中、代々木・渋谷・原宿・新宿といった超巨大都市に接する位置にあります。
明治天皇が崩御後、全国的に神宮建設の機運が高まり、昭憲皇太后が崩御された大正4年に発表、大正9年に完成しました。
主祭神は明治天皇と、昭憲皇太后です。
初詣には、日本一の参拝客が訪れる明治神宮。
広さは73ヘクタール(22万坪)、甲子園球場(3.85ヘクタール)が19個分、アリオ八尾(6.8ヘクタール)が11個分くらいの敷地。
なんせ超広大。
それを当時、人力で造り上げたというから凄い、凄すぎる!
しかも、すべてが計画して造られたなんて・・・。
そしてその目標が凄い。
永遠の森、すなわち自然更新の森を造る、と。
つまりは自然が自然の力で世代交代をする森を、人工的に造るということ。
その為の年月として、150年計画が立てられました。
150年を3段階に分けて、自然が成長し、また淘汰していく姿を予測し、森を作りあげました。
当初、この代々木の地は、野原と畑の土地で、せいぜいクロマツ、アカマツが所々に生えているような荒地でした。
代々木の地名の元になったモミの木が、目印になるくらいに、何も無かった土地。
そこを永遠の杜とするためには、植樹が行われました。
その数、約10万本。
その10万本は全国から募った、献木でまかなわれました。
しかも、木の梱包から運搬までもが献木者の負担で行われたということです。
さらには11万人による勤労奉仕によって植林されたとのこと。
当時の大日本帝国民の、明治天皇を慕う心の熱いこと、激アツです。
創建当時、時の内閣総理大臣である大隈重信は、伊勢神宮や日光のような、荘厳な雰囲気のスギ林にするように命じました。
しかし、林苑関係者は、東京の土地には常緑広葉樹が向いているとして対立。
あらゆるデータを駆使しながら、大隈首相を説得し、現在のような広葉樹の森としました。
この説得には、命を懸けた並々ならぬ苦労があったようです。
ですので、現在のこの森には、広葉樹のクス、カシ、シイが主体となっています。
しかも、大正4年の時点ですでに、東京の大気汚染に強い樹種までを考慮していたというから、未来を予測する能力が秀でていたといえるでしょう。
150年計画の概要とは、
【第一段階】
仮設の森。先駆的な樹種のアカマツとクロマツを主木とし、その間に成長の早いヒノキ、スギなどの針葉樹を植える。さらに下層には、将来の主木となるカシ、シイ、クスノキを植える。
【第二段階】
主木のマツ類は、ヒノキ、スギに圧倒され次第に枯れる。数十年後にはマツ類に代わってヒノキなどの針葉樹が主木となり、マツ類は点在する。
【第三段階】
カシ、シイ、クスノキ類の常緑広葉樹が優位に立ち、支配木となる。その間にスギ、ヒノキ、マツなどが混生する。
最終的には、
カシ、シイ、クスノキ類はさらに成長し、100年前後でカシ、シイ、クスノキの天然林相になる。
そして、次世代が育ち、自然に世代交代が行われる、永遠の森となっていく・・・。
2020年、東京オリンピックの年、その時が明治神宮100年の節目です。
今は98年目。
その計画どおり事が進んでるかといえば、実はかなり早いスピードで永遠の森が出来上がっています。
既に第三段階となっており、まるで原生林であるかのような森へとなっています。
太古の昔から存在してたかのような森は、まだ100年も経っていないのです。
さらには食物連鎖の頂点に立つオオタカの生息が確認されており、オオタカを頂点とした生態系が確立されています。
この御社殿のあった場所には、アカマツやクロマツがたくさん生育していました。
そのマツ類を1本1本移植し、しかも大木なので根付くかどうか微妙なところでしたが、大変な研究と根回しを行い、わずかに1本だけが枯死したという抜群の成績でした。
大木の移動には、人と牛と馬の力だけ。
それを70ヘクタール全てにおいてやり切るなんて、なんて人の力は偉大なのでしょうか。
御社殿から少し離れたところには、すばらしい御苑があります。
こちらは明治天皇が在位の頃の御料地だった場所で、昭憲皇太后の散策の為に作られた御苑だそうです。
神宮は崩御後の造成ですが、当時からあるこの御苑には、たびたびお出ましになられたみたいですね。
実際に歩かれていた当時は、どの様な森の姿だったんでしょうね。
森の中にひっそりと佇む、お屋敷。
このひっそり感が絶妙。
縁側の先には、池が配置されています。
ホント日本の美って感じです。
池の端のほうには、管理の行き届いた菖蒲田があります。
ここの菖蒲は何十種類もの菖蒲が丁寧に管理されています。
しかしここは本当に、東京のド真ん中なのかって思うくらいの風景が、眼前に展開されている。
池の先端付近には、池の水が湧き出ているという井戸があります。
この井戸は伝説では、加藤清正が掘ったと言い伝えがあるそうです。
実際に井戸から湧き水がこんこんと沸き出ていました。
言われなければニセモノとわからない、コンクリート造りの松。
元あった本物の松が枯れてしまい、巻きついていた藤がかわいそうだからという理由で造られた。
不思議なことに、かわいそうな藤はコンクリート松には自然には絡もうとしなかったそうで、人の手で絡ませたそうです。
在来種であるカントウタンポポは、外来種のセイヨウタンポポに徐々に追いやられ、現在では希少になりました。
しかし、この明治神宮内だけは別。
神宮の深い森の木々が、セイヨウタンポポの種の飛来を遮ったために、在来種が守られた訳です。
ちなみに花言葉は「神のお告げ」。
明治神宮内に「神のお告げ」であるカントウタンポポの存在、何か意味があるように思います。
結論、
破壊ばかりを繰り返す、万物の霊長である人間。
自然の一部でもあるその人間が、自然の中で出来ること。
それは、自然に助けられまた自然を助け、自然全体の調和を図ること。
その能力が授けられていることを、この永遠の杜を見て気づきました。
自然の一部である人間が、自然を征服するなんて、なんて愚かなことなのでしょうか。
元々、人間は自然と融合していたはず。
調和を取る必要の為の、人間の能力だったはずです。
不可能を可能にする、明治・大正時代の人々の想い、それが現代の人々に届くことを願います。