「君たちはどう生きるか」

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オーシャンビューと本と

旅に出ました、一週間くらい。

そして一冊の本を読みました。

「君たちはどう生きるか」

漫画化されて話題の本のようですが、一読の価値はあると思います。

 

 

「君たちはどう生きるか」本文と感想と

シーブリーズを感じながら「君たちはどう生きるか」を読む

シーブリーズを感じながら「君たちはどう生きるか」を読む

 

「世間の眼よりも何よりも、君自身がまず、人間の立派さがどこにあるか、それを本当に君の魂で知ることだ。そうして、心底から、立派な人間になりたいという気持ちを起こすことだ。」 (本文より抜粋)

 

立派な人間とは何でしょうか?

或いは立派な人間の定義とは?

それを自らの心に問い、そして自らの心に従い、そういう人間になろうとする意志を持つ。

決して世間の眼、親、兄弟、近隣の方々、知り合いなどの望む立派さとは合致しない場合もあるということ。

合致してもしなくてもいいんだということ。

 

「 いいことをいいことだとし、悪いことを悪いことだとし、一つ一つ判断をしてゆくときにも、また、君がいいと判断したことをやってゆくときにも、いつでも、君の胸からわき出て来るいきいきとした感情に貫かれていなくてはいけない。」 (本文より抜粋)

 

生きていく中で、様々な出来事が起こるが、その一つ一つの判断を自らのアタマで考え、自らの責任で決断していく。

もちろん世間うんぬんの判断よりも、自分の判断を大切にする。

その判断の根拠は、自らのいきいきとした感情、あるいは根拠は無いがこうしたいという心の声に従う。

 

「いろいろな経験を積みながら、いつでも自分の本心の声を聞こうと努めなさい、」(本文より抜粋)

 

つまりは経験をヒントに、自らの本心がどこにあるのかを探り、探り続ける習慣を常に持ちなさいということ。

 

どう生きるか?、立派な人間とは?、人としての在り方?、人とは?、人生の意味とは?、死とは何か?、などなど、人として生きる過程のどの時点でも、常にこれらの問いを自らに問いかけ、経験を足がかりに不完全である答えを捻り出し、試行錯誤しながらどこまでも前に進んでいく。

おそらく死を迎えたその時点でも、誰にもその答えはわからないでしょう。

答えがわかる方は、その根拠の所在をどこにするのでしょうか。

たとえば神さまに聞いた、守護霊に聞いた、天からの啓示などなど、明確な答えを持っているということは、答えを導き出すプロセスが省略できるので、楽なことだと思います。

それに従っていけばいいので、ありとあらゆる判断の根拠がそこに帰する、すなわち人生の虎の巻を与えられた感じです。

ただし、自らの経験から導き出すセオリーや心の声と、虎の巻とにズレが生じた場合、どちらを採用するかで悩むかもしれません。

虎の巻を完全視してしまうと、経験や本心が置き去りにされる場合もあるかもしれませんね。

誰にもわからない答え、当の自分自身ですらわからない答え、しかし完全な答えが存在しないとしても、”問い”は常に、そして人生の最後まで自分自身に向けられ、その都度、答えを導き出そうとする努力はするべきだと思っています。

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